画面を通しての私はただのアホにしか見えないと思う(実際にまあまあアホだし)のだけど、実はかなり用心深い性格をしている。

長い間ホールでの暮らしがあったので、有象無象、ろくでもない人間を見てきた。

いつ何かで騙されるとも知れない中での生活は、人を見る目を養わせるし、簡単に人の言葉を信じない性格を作る。

 

…と言うと人間不信のようだけれど、そうではない。

自分の感性で「この人は大丈夫」と思った場合はほぼ無条件で相手の言い分を信じる一面もあるのだ。

例えば、悠遊道の安田さん。

安田さんには敬愛の念があり、その言葉は疑うことなくほぼ100%を受け入れる。

何かに対する評価でも、アドバイスでも安田さんの言葉の中に私を騙してどうこうしよう…なんてものは存在すら考えたことがない。

 

さて、出会った人を信じられない人、信じられる人で二分するわけでないので、その中間の人が大多数となる。

その時に、どんなことで信じられるかどうかを判断するのか…と言うと、当たり前ながら日々の積み重ねだ。

 

例えば、競馬が得意だと言う人がいる。

時に何百万の馬券を取っただのと大きな話をされることもあるけれど、私はそれを聞いても鵜呑みにはしない。

「へー、そうですか」と相槌を打って、何かのレースの展望を聞いてみる。

そして、結果を見る。

聞いて、結果を見る。

聞いて、結果を見る…ギャンブルだから100発100中にはならないけれど、そうしていると的を射た予想なのかどうか大概見えてくる。

一言で言うと、事前に予想を聞いて結果が出せるかどうかを見ているのだ。

 

逆に、私が信じなくなるパターンも挙げておこうか。

これは簡単、レース前の説明もなしに、当たり馬券を見せてくるようなタイプ。

もしくは、当たりましたと言うけれど、その証拠は見せてこないタイプ。

 

当たるまでにいくら使ったのか、どのくらい頻度で当てているのか分からないのでは評価のしようもないし、当たった時だけドヤ顔で自分を大きく見せるタイプにろくな人はいない。

当たりましたと言うけれど馬券を見せられない人も同じで、単なる自己顕示欲なのか、何か目的があるのかは分からないけれど、関わって得はなさそうだ。

 

自分を大きく見せたい人間よりも、一緒に悩んで外してしまった人の方が好感は持てる。

戦友…と言うと大げさなのだけど、同じことに頭を悩ませて、同じ悔しさを味わった人とは少しずつ距離を縮められると感じる。

 

さあ、そこで…前回のコラムでも書いた「機種選びの中で譲れない部分」について。

ここまで読めば分かると思う…結果だ。

スロットで言うと、勝つことが一番の結果で、次が設定を掴んでいた証拠になる。

 

コアなスロッターはこの順番が逆になると思う。

設定を掴んでいれば、勝てなくても上手く立ち回っていたのだと…だけど、やはり私は初心者目線で考える。

 

設定を掴んでいました…負けました。

設定を掴んでいました…負けました。

では、視聴者の人にこの人の立ち回りを真似してみようとは思ってもらえないだろう。

ベストは、設定を掴んでの勝ち。

次に地べたを這いつくばっての勝ちは、内容が薄いけど戦友意識は持ってもらえそう。

設定を掴んでの負けはその次で、グダグダの負けは最悪の展開。

 

そして、立ち回りは頭を悩ませてほしい。

今だとディスクアップが103%だから、これを打っていれば常勝ではないか…と考えるのは視聴者を突き放していて、共感を得られるとは思えない。

もちろん、番組の趣旨上、紹介するために打ったり、手詰まりになって打つ分には問題ないけど、安直にそこに逃げるのは違うと思っている。

 

前のコラムで書いた通り、自分は常勝の中ではジャグラーのブドウをカウントしない。

これでお叱りを受けることもあるのだけれど、収支という結果が出ているのだから良いだろうと思っている。

私が簡易判別で勝てるのなら、それは視聴者に勇気を与えられることだと思う。

 

実は、ここ2年ほど…常勝の中でハナビのように目押しが必要な機種はほとんど触っていない。

これもスロットの間口を広げたい政策からで「目押しができないから勝てない」と思われないように、あまり目押しの要らない機種を選択している(ほかの二人がこういった機種を好むのもある)。

自分に足枷を付けても、勝つ…勝つ事が言葉の信用を生むと思っている。

 

目押しが要らないGOD系を打って負けてばかりだと魚拓先輩と同じになってしまうので、とにかく結果を出さねば…(笑)。

次回はライターの資質について書いていこうかな…コタツでぬくぬくしながら、良い感じで待て!!