この機種の登場は1999年。世紀末の足音が聞こえ始めた時期ですね。
画面では男臭いターザンが様々なアクションをしていて、楽しませてもらいました。
普通の1回ループ確変機と、回転数切りのST機、あと現金機もありました。
タイプ違いが多く存在することで、かなりの店に設置されていたと思います。
(自分がジグマとして通っていたホールには普通確変機が設置されていました)
あまり覚えていない同時期のCRデジパチに比べて記憶に残っているのは、小細工で勝ちやすかったからです。
実はこの機種は以前に内緒話で書いたエピソード、故飛鳥一平さんとの回しっこ勝負で打った、あっぱれ応援団とゲージが似ていたのです。
あの勝負では天にあるワープへ多くの玉を絡めることを目論んだ、アタマを狙う合わせが功を奏したものでした。
当然、盤面写真を見た時点で「柳の下にドジョウだぜ」と期待しましたよ。
結果は思った通り。緩い時代だったこともあり、打ち方を隠すこともしなかったのですが、案外長持ちしてくれました(専門誌でも特にストロークの効果には触れてなかったはず)。
それから、当時は低換金店が主流。珍しかった等価やそれに準ずる高換金店以外はスルーも気にする必要がなく、電サポ中は簡単な止め打ちで勝手に玉が増える場合が多かった。
自分もそれなりに玉増えの恩恵を受けたし、友人には現金機で「通常時の打ち込み玉数と電サポ中の玉増えが同数だったよ」なんて話も聞きました。
すごいね、展開も味方したんでしょうが、当りでの払い出しが丸儲けだもの。
私はこの頃パチンコを覚えました、前作のあっぱれ応援団では40,000発出た思い出が有ります。
この頃の京楽のゲージはスルーの位置が微妙で確変中は打ち方を変えないとスルーに球が通りませんでした。
後抽選でしたしね。止め打ちで球は増えましたね。
当時 ほとんど打った記憶がなく、そんな旨みのある台だったとは 知りませんでした。
20年の歳月を経て 打ってみたくなってしまいました ?
攻めどころが すごいと思いました。
真、風間さんへ
4万発は素晴らしい!
ジャングルパークのスルーの位置は全く覚えておりません(-_-;)
でも、当時は電チュー賞球も多かったし、今の海のようにヘソ入賞での払い出しと天秤にかける必要もなかったですね。
打ち方が収支に及ぼす影響も大きく、良い時代でした。
のぶざんすさんへ
いやいや、全てはまず回りありきだったので、ネタ扱いできるような機種でもありませんでした。
でも、こういう小細工レベルの技術+台選びで勝てる状況や機種が、今も私は好きです。