ゆきちさんの「ガラスの向こう側へ」とても面白かったですね。ぜひ作品化を、という声が多いのも頷けます。自伝的なお話はすでにHPで披露されていましたが、また別のお話というのも良かったです。

終わってしまったのは残念ですが、多くの逸話をお持ちのゆきちさん。また、スピンオフ作品など披露していただけるのを楽しみにしております。ということで、今回は釘師ゆきちさんの思い出話を書きたいと思います。

私が釘師ゆきちさんと初めてお会いしたのは、年の瀬も押し迫った2008年12月20日。「釘師が釘の勉強会を兼ねてオフ会を開催!」という文句に釣られて、オフ会会場である大阪天満まで馳せ参じた時でした。

まあ、お会いしたといってもそこに参加したのは30人ものパチプロ連。私の存在など霞んでいたと思います。年が明け、2009年の年頭にHP上でこんな目標を掲げられたゆきちさん。

「パチンコの話を楽しくできるお店を今年中に出す」

いや~すごい目標です。 どんなお店なのか、HP上でヒントがありました。古いパチンコ台が並び、打つこともできる、パチンコバーの機能もあるお店、という想像ができ、ぜひ行ってみたいと思ったものでした。

2009年といえば、あの機種が登場した年。同年4月頃、お店の出店準備を中断?され、突然旅に出られたゆきちさん。ピンときました。

多分、最後の攻略機と言われた「蒼穹のファフナー」を求めて旅打ちに出られたのでは?この予想は当たっていましたが、そのことを明かされたのはまだ後のことでした。

その後、旅打ちも終え、出店準備を再開されたゆきちさん。有言実行、建設作業なども手掛けられ、年頭に掲げられた目標を見事に成し遂げられました。つまり、9月5日「パチンコの話を楽しくできるお店」パチンコバー兼えびす会館を完成されたのでした。

2009年10月17日。私が懇意にしている「たいがー山本さん」主催、恒例秋の大阪オフ会に参加させていただきました。いつも梅田エリアで開催をされていますが、2次会は私がたいがーさんはじめ参加の皆さんを難波元町へと案内しました。えびす会館の下見、予約は日中に済ませています。

電車、タクシーと乗り継いでたいがー一派8名が到着したのは薄暗い雑居ビルの前。インターフォンを押して到着したことを告げ、ぎゅうぎゅう詰めの中エレベーターで7階まで上がりました。

エレベーターの戸が開いた瞬間、目に飛び込んでくる「玉ちゃんファイト」「キングスター」「弁慶」「スパンキー」・・そこには懐かしい羽根物が所狭しと並んでいました。一番奥にはなぜか「蒼穹のファフナー」も。

もしかして怪しい裏カジノ?いえ、違います。飲料代2千円を払えば、換金行為は不可ながら懐かしいパチンコ台が無料で打てる「えびす会館」です。そして土曜の夜は「パチンコバー」。

釘師ゆきちさんと固い握手を交わすたいがー山本さん。関西の雄同士、実に絵になっていました。その後、カウンター内に入り、バーテンの役を買って出られたたいがー山本さん。いや~バイタリティ旺盛な方です。

既に他のパチンコファンの方々もおられ、リーダーと思われる方に挨拶をすると、アッシュさんとおっしゃってました。たいがー一派、アッシュ一派入り乱れて交流を深めることができ、深夜1時まで宴は続きました。

その後、3次会は難波のカラオケ店へ移動。カラオケ店なのに歌うよりパチンコ談義がメインなのはいつものこと。始発電車が動き出す朝の6時まで談義は続いていくのでした。

パチンコの話を楽しくできるお店、というコンセプトでもって素晴らしいお店を出されたゆきちさん。所せましと並んだパチンコ台はお客さんが楽しめるよう毎日釘調整もされておられるようでした。

残念ながら、現在は閉店をされていますが、飲食業界へと舵を取られたゆきちさん。もしまたお店を出されることあれば、ぜひお伺いしたいと思いますし、店内はパチンコ台がオブジェになっているのでは、と期待もしたいところです。