自分のパチンコ生活には転機となる出会いがいくつかある。内緒話14と15で書いたTさんとの出会いもそうだし、デジパチ攻略に手をつけたことで、石橋達也さんと出会ったこともそう。それが後の誌上プロへの道となったし。
パチンコではジグマが成立しなくなった時が一番大きいかな。でも、それは誰かとの出会いで乗り越えていったわけではない。他者の影響を受けたとしても、それは不特定多数の集合体だから。
今回はモラル?マナー?で、自分の中に大きな物をもらった人のことを書く。
名は塩田さんと言う。自分がジグマ生活を始めた初期の羽根モノ時代に、主任だった人だ。後に彼は副店長になるのだが、まあ、当時は普通にホール内で仕事をしていた。
塩田さんは他業種からの転職組。「VAN JACKET」と言えば、トラッド好きな人は耳にしたこともあろう。自分が子供の頃には日本のファッションをリードした、有名な服飾ブランドの社員だった。だから、生粋のパチンコ業界育ちとは異なる常識感覚があったんだな。
自分もまた、学生プロ上がりとはいえ、サラリーマンを辞めてホール通いを始めた人間。塩田さんと出会った当時は、エゴの押し付け合いばっかりの常連さんの村社会の中で、どこか馴染まぬものを感じていた。
だからかな、なんとなく気が合い、店員さんの中でも最初に挨拶を入れるようになった。隣町のホール(工藤ちゃんがジグマを始めた店だった)へ浮気した時には、たまたま隣り合った塩田さんと身の上話に花が咲いたりね。
はっきりと覚えているのは、まだそこまで仲良くなる前のこと。何を注意されたのか忘れてしまったけれど(バカでごめん!)、塩田さんから「プロでやりたければ、行儀からきちんとしなさい」と言われたのだ。
一瞬、「なんだよ、この店はルールを守らない奴だらけなのに、なんで俺だけ?」と思った記憶もある。
でも、すぐに反省したさ。「街の困ったちゃんが集うこの店の状況を嫌悪しながら、俺は知らず知らずに染まっていたんだ!」と思い知らされたんだもの。
以後、自分は「掃きだめに鶴を目指そう」と決めて、店にも他の客にも咎められる可能性があることは一切やらなくなった。玉が出過ぎて嫌われるとかは別として、これは誰にも胸を張れる、自分の唯一の誇りだ。
工藤ちゃんには「現場も誌上も含めて、アレもコレもやらないのなんて安さんだけですよ」と、吐き捨てるように言われても、若い頃に立てた志を曲げるつもりは毛頭ない。
「世間様に迷惑をかけてかけて、何とか隅っこでお目こぼしで生活をさせてもらっているんだ。奇麗事を大事にできないでどうする?」とね。
それが今もホールでゴロゴロできている理由かはわからない。けれど、他人がどうこうじゃない部分で生き方を決める。そして、自分の意識を変えてくれた、これ以上あらぬ方向へと進まぬお叱りをくれた塩田さんには、店が潰れて会えなくなった今も大きな感謝をしている。
ジグマをしていた店にはズルも含めて勝っていた人間は何人もいた。でも、そんな注意を受けたのは多分自分だけ。
たとえそれが、「他の奴は口で言ったってわからないだろう。真面目な根っこが残っているコイツくらいは注意すれば聞くかな」という判断だとしても、その気持ちは変わらないのです。
まっ、仲良くなろうと、そこは常識人。得する情報なんて何も教えてくれなかったけどね。でも、それもまた嬉しかったよ!
ありがとう、塩田さん。今も健康に過ごせていることを祈っております。
田山さんの回につづく心打つ記事です。
安田さんのこういうところが好き。
「パチンコ黙示録」の巻末にあった、塩田さんとの対談を思い出しました。
安田さんが書いている通り、パチンコ業界の人とは思えない真面目な印象があります。
なつかしいなあ・・・。
もう一回読み直そうかな。
のんきさん
いつもコメントありがとうございます。
そうですね、塩田さんには単行本の対談にも出てもらっていましたね。
ていうか、マニアックな書をお持ちで。
内容は古いし、いかんせん私もまだまだ小僧でしたので、今と違う点が散見されてもご容赦を。