2005年の秋も深まっていた頃のこと、地元資本の田舎としては最大級規模のお店がオープンしました。地元チェーンとして4店舗目です。

それに対抗するかのように翌2006年の年始、外部資本の大型チェーンのお店が地域初参入し、同規模の大型店としてオープンしました。

私は、その外部資本店の設置機種の中で、GOGOマリンの抜群のステージ性能を生かしたストロークでもって追いかけていました。しかしこの機種も厳しくなってきていたある日、オープンした地元資本のD店へ行き驚きました。

D店のメイン機種、120台ある大海物語M56(1/369.5)の中の角の1台について、電源オフで台紙が貼られていて、ヘソ釘の所だけ見えるようにしてあったわけですが・・・

これが見たことのないくらいのガバ開け!今後、特定日に大海物語の中でこんな台を20台用意すると告知されていました。

そして迎えた特定日初日は大雪。早めに目が覚めそわそわしつつ、アイスバーンの路上を出発し開店1時間半前に到着。数台車が停まっているも並んでいる人は無し。とっとと先頭に陣取りました。

やがて若者連の声が背中に近づいてきましたが、無視して雪降る寒空の下、携帯を触り続けました。

そして開店の時間が迫り緊張感が高まる中、どこに開け台があるか分からないので、やはり狙いはあの見本台だろうという腹に決めました。

で、ようやく開店。急ぎ足で狙い台へ行くと、これがビンゴ!晴れてガバ開け台の確保に成功したのでした。

他のガバ開け台の確認をする時間ももったいないという感じで直ぐに打ち出しを開始、ヘソになだれ込む玉、保3強止めするもオーバー入賞頻発。

投資5千円、173回転目に初当たり、これが6連し、以降は持ち玉で繋がりました。結果、回転率37回(千円)レベルの台を通常時3641回転させて総当たり37回、出玉約5万発となりました。

他のガバ開け台の半分はPOPで分かるようになっていました。出玉ひな壇状態の私の台の釘をガン見してきた輩の思わず漏れ出た「こんな台打ってみてぇ」を待つまでもなく、この日以降の並びのレベルが上がるのは想像に難くありません。

季節は真冬。特定日は置き椅子をして車中で待機、が普通のスタイルとなりました。到着して置き椅子を数え、20あればジエンド、という感じ。

先頭付近に並ぶ顔ぶれは毎回同じとなり、これぞ地域のプロ洗い出しイベントの様相を呈していました。その中の夫婦連れの言葉「朝3時頃になるとそわそわしてきて目が覚める」。早起きが苦手な私、置き椅子などしない主義にて開店3時間前置き椅子20の頃は空振りの日も増えていました。

もちろん、だんだんヘソ釘ガバ開けの度合いも微妙に弱く、下げ釘傾向になってきていましたが、私は右打ちで対処していました。そのお店の大海物語は右打ちの方が回る台が多かったからです。

半分はPOPが無く、釘を見て探す必要があったため、並び23番目くらいならチャレンジする価値がありました。開店前の緊張感も半端なく、ダッシュが当然。なんとかキープできたらもうその日の仕事は終わりという感じで、息を切らせながらフード付きロングジャンパーを椅子にかけたものでした。

そしてその日は突然やってきました。

このイベントが開始されて3か月が経ち、もうその頃は開店30分前クジ引き制になっていて、久しぶりに当選した桜咲く頃の日。なんとか右打ちで32回転(千円)レベルの台で順調に出玉を伸ばせていた午後3時、大海物語の島に不穏な空気が流れました。

店員が、ガバ開け台を打っているお客に何か告げて、遊戯強制終了が発動されたのでした。

そして釘を確認しながらだんだん私の所へ近づく店員。そこで身体を台に近づけたのが功を奏してか、気づかずに通り過ぎていきました。

しかし、まあ時間の問題です。店員が集まって、1台足りないと再度釘の確認を開始、とうとう最後に私の台も強制終了となったのでした。理由を聞くと、ガバ開け台を打てないお客が所轄にチクったことで指導が入ったから、とのことでした。

実施初日に真っ先に打ち出し、最終日に最後まで参加できた、今ならあり得ないこのヘソ釘ガバ開けイベント。現在、そのお店は残念ながら当時の面影は無くなってしまっています。当時、この並びに参加をした地元プロや常連は、その後も海系機種狙いや、新台入れ替えに参加したり、朝の潜伏狙いをしたりしていましたが、現在は一人として姿を見なくなってしまいました。