もう10年くらい前でしたか。近所のコンビニ。紙パックの日本酒を飲もうとしている老いた男性がいて、なんとはなしに視線を向けました。目が合ったか合わないか、自転車をとめた私の前で、おじさんはいきなりパックを逆さにして、地面に流し出したのです。

いつもの私なら「おとうさん何やってんの、もったいないやん!」と声をかけるところですが、何も言えませんでした。パックの腹をぎゅうぎゅう押すも、ストローの細い口からでは時間がかかります。早朝。みっともないと思ったのか、もうやめるって決めたのにって罪悪感からなのか、事情はわかりません。ただその震える手を見て、胸がつぶれそうになりました。

悠遊道が行った依存症についてのインタビュー記事を改めて読んでみました。

依存症という言葉で浮かぶのは、作家の中村うさぎさんでしょうか。買い物、ホスト、そして美容整形へと渡られていました。ちょっと話が脱線しますが、『自分の顔が許せない!』を共著された、顔に痣のあるジャーナリスト石井政之さんは、昔に同じ医療冊子に連載を持っていた関係もあり、大変興味深く読みました。中でも顔にメスを入れたうさぎさんが「これで自分の顔に責任持たずに済む」と発言していた部分。「顔とは何か、個性とは何か」について考えさせられる本だと思います。

自分を振り返りますと、恋愛でだったかも知れません。何しろ理想のタイプは「オレ以外の男の目も見るな」と言ってくれる人です。

二十歳。狭いワンルームで同棲していた恋人は酒乱で、今でいうDV。父親と同じような男。初めて殴られた時「女なんか殴った事ないのに」お前のせいで、と言われた事を思い出します。

 女「なんか」──。

当時は何度やられても、やっぱり舞い戻っていました。ご多分に漏れず「私が悪い」と思っていたからです。暴力にまみれた子ども時代。負の連鎖からか、若い頃の私はヒステリックな女でした。だから悪い悪くないはお互いであったと思います。しかし今ならわかります。暴力で解決できる話などありません。

彼は子どもが好きで、虐待のニュースによくこう言いました。

 言って聞かない子が、殴って聞くのか?

なんてことなの。思わずふっと笑いそうになり、慌てて飲み込んだものでした。

私たちは同じ店で働くバーテンダー(バーテンダレス)で、シフトが違うので寝る時間が違います。でも彼に合わせてご飯を作りました。貧乏なくせに封建的な家で育った私は、男には炊きたてを用意します。睡眠不足でふらふらでしたが四六時中、一緒にいたいし、そうやって世話をするのが幸せでした。私は恋をすると、彼が人生の全てになってしまいます。洗濯物をたたみながら「あなたは私がいないとだめねえ」と言うのが夢でした。

まだ右耳は少し聞こえていたので「右はぶたないで」と頼んだら、わざと右ばかり殴ってきたこと。空手をやっていたとかで、眉間やこめかみが急所だと笑っていて震えたこと。あの時に戻って聞いてみたい。

 そこに、そこに愛はあるの。

ある朝、味噌汁がどうこうの些細な話から、激しい暴力となり、これはもう殺されると思い、つっかけひとつで部屋を飛び出しました。

外は駅に向かう、サラリーマンたちの波。恥ずかしくて顔を伏せながら路駐車の後ろに隠れます。頭を触ると血が出ていました。かつて母親が台所で血だまりの中をへたり込んでいた姿とダブります。あふれる涙を手やシャツで拭い、車の後ろにしゃがみ込み、さめざめと泣き続けました。彼のためだけに生きているのに、どうしてこうなるのか。

しばらくして少し落ち着き、ふとおでこに手を遣ると左眉の上に尋常じゃない大きな膨らみが出来ていました。怖かったです。それから、一体どういう状態なのか見たくなりました。車のサイドミラーでどうにか見ようと、顔を寄せてみます。向こう側のなら見えるけど、人が多くて恥ずかしいし。うーん、見えないな…。手で触って確認すると、根元が細くなってそこから丸く大きくなっています。マンガみたいなたんこぶ。ぷっくり膨らんだ餅の絵が浮かびました。

 もうあかん、どうしても見たい!

さっきまで泣いていたのに、意地になってミラーに顔を寄せる私。見えそうで見えず、必死に見ようと頑張る自分と目が合いました。と、思わず「アハハ」と大きな声が出ました。どうなってんだ、情緒。私はホラー映画マニアで、恐怖と笑いが紙一重だと知っています。死のうと思って包丁を出したら、あいつ刺されると勘違いして慌ててたっけ。ゲラゲラ。この時、笑いながら出たのは、こんな一言でした。

 悲劇のヒロインじゃん。

ばかばかしい。その瞬間、憑き物が落ちたように、涙や何やでぼやけていた視界が、クリアになりました。何やってんだ。一体、何をやってんだよ。

友人夫婦が車で迎えにきてくれました。そうして、どんなに帰ってきてくれと言われても、もう二度と戻りませんでした。

 

ギャンブルやアルコール、ドラッグなどの依存症は明確に病気であり、専門家が必要で、やっぱり難しい問題です。ただそこまでではない層は「自分を見る自分」を感じられたなら──。「気付き」さえあれば──。


・初パチンコ:2015年(47才春)
・本業:映画ライター

・猫とプロレスを愛する東京の大阪人
・クセ強め/耳遠め
・代表?コラム

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