ちょっと格好をつけた言い方になってしまいますが、この自粛期間中、特にバッシングが強まった時期のコラム(他媒体も含む)は、メッセージを込めて書いているものが多いです。ミュージシャンが曲に想いを込めるように。伝わってない、実力不足……とか言わないの。薄々感じていますから(笑)。

例えば、前回の「オッチャンが救ってくれたもの」は、これだけイメージが悪化したパチンコに興味を持って始めてくれた初心者さんを大事にしても罰は当たらないのでは? というユーザーへの問いかけ。パチ7で書いた「打ち手から見たP-WORLDの功罪」は、イベントで商圏を広げるのも経営としては当たり前のことかもしれませんが、地域との共生を見直してみては? というホールへの提案のつもりでした。

しかし、この原稿を書いているのは、5月7日の早朝。地域によっては営業自粛が解除され、そうでない地域でも経営判断で営業再開を決断するホールもあることでしょう。世間の反応はどうなるのか。不安な朝を過ごしています。いや〜、こんなタイミングで何を書けと。そんなわけでして、今回はメッセージ性ゼロでお届けします(笑)。

2月末に、たまさんからいただいたコメントにあった代々木のホールですが、実は前回の「オッチャンが救ってくれたもの」で『サイクロン』を打っていたホールなのです。そのときにも『スーパーセブン』はありましたが、まだ私がパチスロデビューする前。今回は、それから約1年後。1991年のことを書きたいと思います。

『スーパーセブン』は、1989年に導入されたパイオニアの2号機。リーチ目という概念は存在せず、ボーナス成立時にはニュルニュルとリールがスベる特徴がありました。逆に、ハズレ時はリールがピタピタとその場停止します。ええ、昔のパチスロなんてそんなものです。だが、それがいい!

 

地元のホールでパチスロデビューを果たしたワタクシ。このホールには羽根モノの『マジックカーペット』のモーニングサービスを受けに通っていましたが「パチスロもモーニングあるじゃん。そちらのほうが身入り良くね?」すっかりパチスロの虜となっておりました。とはいえ、座るだけでV入賞してくれた羽根モノと違ってパチスロは座った台にBIGが仕込まれている保証がありません。むしろ、レア。ここで頭を使うようになります。

BIGが入っているモーニング台は、左リール上段に赤7が停止していることが多い。モーニングを入れるには“打ち込み機”という機械を使うのが一般的です。推測ですが。その機械の特性上、リールにはボーナス成立時と同じ停止パターンになるのでは? そう思ったわけです。下段にBAR(枠上に赤7)が停止している台は、4コマスベリでない限りBIGの可能性なし。その確率は低いだろう。そうやって座るべき台を吟味していきました。

 

このホールは、少しおバカなところがありまして。モーニングがあるくせに、すぐジェットカウンターに流すことができたんです。7枚交換でしたが、そりゃ移動して何台も取っちゃいますよね……。

そこからホールも対策をしてきます。出目をズラす作業です。実は、このほうがクセ出るんですよね。下段BARでスルーした台からBIGが出るとか。全台中段赤7揃いとかのほうがよほど分かりません。そんなイタチごっこをすること10日ほど。ストレスの頂点に達したのでしょう。首根っこを掴まれて放り投げられました。いわゆる出禁です。

ちなみに、このときパチスロを覚えてから3ヶ月あたり。なかなかのスピード記録かと思われますが、それ以降は1軒も出禁処分は受けておりません。これくらいやると追い出されるとか、その機会を伺っている雰囲気を学ばせてもらったつもり(笑)。いや〜『マジックカーペット』を打てなくなるのは寂しかったですな。ほかのホールよりも、釘が良かったんで(当時そこまでの知識はありませんでしたが)。

まあ、なんだ。営業再開するホールもピリピリしているでしょうから。こんな時期に、ウロウロと露骨なハイエナ狙いを繰り返すのはおやめなさい。