今年も残すところ1ヶ月余り。いろいろと総括する季節となってきましたが、やはり今年は“新型コロナウイルス”を抜きに語れません。特に緊急事態宣言下においては、全国のホールが要請に応えて休業することとなったのは、みなさんも記憶に新しいかと思います。
その緊急事態宣言の前後、営業できる時期でも業界内で続けていることがありました。集客を目的とした広告活動の自粛です。許される幅の地域差や守らなかったホールを論じたいわけではありません。
注目を集めたのは、ホールのスタッフさん個人としての発信力でした。簡単に言ってしまえば、ゆるキャラやアイドル店員さんです。抜け道ではなく、直接集客を目的としない他愛ないことを中心とした発信で関心を失わないことですね。この難しい時代に、いろいろな発信ツールを持っているに越したことはありません。大変なことも多いみたいですけど。
それは顕著な例として。時代とともに“ホールスタッフさんに求められる役割”って大きく変わってきていると思わされます。そして今、その役割が変化しつつある時期なのかもしれません。ホールでの勤務経験はないので、あくまでもハタから見た話ですけどね。
○求む、用心棒!
私がパチンコホールに通うようになったのは1990年。その頃の店員さんといえば、パンチパーマが相場でした。用心棒として、アウトローな風貌や立ち居振る舞いが雇い主からは好まれていました。
お客さん用の休憩スペースで煙草をスパスパ。この当時は、時給以外に煙草を支給しているホールも数多くありました。勤務時間中に吸うのも普通のことです。この頃は両替機にライターが紐で付けられていましたね。ライターを忘れたお客さんのためではありません。店員さんが火を点けるためです。
そして、その上には店員さんの煙草が。分からなくならないように、両替機の上など置けるスペースには、それぞれの縄張りがあったようです。所定の位置に煙草が置いていないのを見て「今日は○○さん、休みか」なんて分かったことを思い出しました(笑)。
他には、歩きながら筐体の鍵を束ねてガチャガチャとブン回していたところですかね。アニメなどでは、刑務官が牢獄の前でするような。まさにそんなイメージです。店員さんが刑務官、お客さんが受刑者の構図です。
「床は板張りで流れる有線は演歌、パンチパーマの店員さんの時期が懐かしい」そんなオールドファンも多いですが、怖いもの見たさでもドMプレイが好きなわけでもないかと思います。この頃のパチンコ台は簡単にブドウができましたし、パチスロはBIGが終了するごとにリセットをかけてもらう必要がありました。「ゴメンよ」とか「おめでとう」とか。心の距離は近かったのです。怖いかと思っていたら、実は優しかった。そんなギャップ効果もあったかもしれません。
先週のヅーラシェイカーがその時代の私のホールで打っていたら、パンチな店員さんから少なくとも罵声とともにオシボリが飛んできますね。そうされているのを見て、私はマナーを学びました。お客は店員さんに怒られないのが基本。店員さんはお客に舐められないのが基本だったように思います。
そんなパンチな店員さんが減少に転じたのは1992年から。俗にいう“暴力団対策法”が施行され、リアルガチな用心棒としての役割が減少していきます。遊技機規則も改正され(パチスロは4号機に)怪しい裏モノも減少し、シマの治安も改善されていきました。
パチンコはアナログの機械も多かったので、ドツキや磁石とかを含めてゴト行為もありましたけどね。それも年々技術が進化して警報機が鳴るなど対策が進められたのも大きいかな。正直なところ、ゴトに関しては巧妙化・深化しているので、多少は見た目が怖い人も必要というのが持論です。
○求む、作業員! そして……?
4号機基準の機種が増えるのと反比例するようにパンチパーマの店員さんが減っていきます。完全4号機時代となると、技術介入機を皮切りに大量獲得機→爆裂AT機→ストック機へと出玉性能が圧倒的に進化。ドル箱の上げ下げに運搬、メダル切れの補充、射幸心を煽るための大量獲得の展示方法。このような作業が中心となっていきます。肉体労働の作業員です。
具体的にはもっとありますよ。書き出すと長くなるので、金曜日の相方あしのさんが書かれた1日スタッフをやってみた記事でも貼っておきます。悠遊道スタイルの衒学ではないのでご安心を(笑)。
これらの作業が一気になくなるわけではありません。ただ、確実に減っていくことでしょう。少なくとも射幸心を煽るような展示はほぼ禁止されているかと思います。慢性的な従業員不足もありますし、業界全体として作業の量を減らしていく方向になっています。パーソナル設備の導入とか、まさにそうですね。
作業の減少が人件費の削減となるだけなのか、軽減された分の代わりに何かを求めて他店との差別化を図っていくのか。そもそも岐路になりそうな時期かもしれないと思っていました。コロナとか関係なく。
私は接客に一票。昔の機種は思い出補正を除くとそうでもないんですよ。今時のプレイヤーは15分もあれば飽きるかと。それでも遊技人口が多かったのは、歩いて行けるような範囲に薄利多売の営業がメインだったこともありますが、ホールそのものやスタッフさんの魅力があったからだとも思っています。
なんにせよ。いつの時代も機械を楽しめるのはホールスタッフさんたちのお陰です。そして、それはこれからも変わりないでしょう。いつもありがとうございます。
逆に現在の様な接客スタイルっていつ頃から始まったのでしょうか?
>匿名さん
1998年頃かな〜。新機種の地域一番導入を目指したり。それで行ってみると”お客さんの顔を見ずに”お辞儀の角度だけ統一されていると仲間内で馬鹿にしていました(汗)。勝てる機種は沢山あった時代ですが、ソコじゃないだろと。
打ち始めがニューパル導入世代で、1998年から2001年までホールスタッフのバイトにて内側も少し覗きました。
激戦地の福生?にて地元企業経営パチ屋、わずか3年間の間にグランドオープンとフィナーレを経験しましたがそこで知り合うことになった地元の打ち手との交流が一番の思い出。勤務時間を離れれば別の店舗で一緒に打つメンバーを得ました。
ただ、この業界に興味と理解が無い人間にはつらい職場…新規メンバー女の子初めて入ったカウンター業務、初日から大負けした常連さんに「店に火つけるぞ!」くらいの嫌味を言われその日を最後に辞めて行きました。お金が絡んでいる業界だけに色々と怖い面もありましたが、自分としてはその器の中でスタッフとして働けた3年間は出会いの場として素晴らしい時期でした(安田さん、ぽち。さんにもマン久保さん!にもお会い出来ました)。
見た目が怖くても優しい人はいましたね。
なんだかなつかしいです。
先日、床ワックスの臭いを嗅いだら、頭の中に軍艦マーチとマイクパフォーマンスが聞こえてきた。臭いの記憶って凄いと思いましたね。懐かしい時代ですなあ
マナーやハウスルールを教えてくれる常連さんもいましたね。店員さんとの会話も多くて大衆娯楽って感じだったなぁ。
777niftyの頃から、いろいろと参考にさせて頂いております。
昔の店員さんの思い出。
BIGのフラグが立ったところで、持ちメダル切れ。しかたなくメダルを買い足そうとしたら、「ちょっと待ったぁ」の店員さんの声。
近づいて来てメダルを一握り置いて行ってくれました。
追い銭なしでBIGをゲット。結局飲まれて終了でしたが、競争相手の少ない店でしたがしばらくかよいました。
おれは師匠の1コ下なので、いつもタメ歳感覚で楽しく記事を読めます
今回の記事も面白かったから色々と言及したいんすけど割愛
あしの氏って同僚だったんすか!?
あっちのあしの記事をまだ読んでませんが、非衒学ということで一安心w
先週のあしの記事を読んで「コイツ、衒学とか道化てバカ演じてたのか?」と驚愕
当然っちゃ当然だけど、作文力皆無の人間が悠遊道に採用されるワケないですからね(しかし、自画自賛の自分語り記事ばかりで筆力も魅力も無い書き手も存在してるのは事実)
昨今の弱々しい店員に代わっておれが用心棒になったろうかな
ほむらちゃんごめんね、おれパンチパーマになる
当時は羽根ものなら羽根に挟まったらV入賞、一発台は命釘に首吊りになったら大当たり保証がどの店でもデフォでしたね。店員さんに裁量が与えられていて、玉の引っかかりで呼ぶたびに保留玉満タンにしてくれましたもんね。権利ものなら満タンにした上でさらに出玉チャッカーにも入れてくれたものです。今は一玉一枚でさえおまけしてくれないですもんね。ガチガチの管理パチンコ、田山プロがおっしゃっていたことそのままです。
パンチパーマの店員の時代の実話です。新台入れ換えの日 私の台だけ電源を入れてくれませんでした。まあ、玉増やしてましたけどね❗出禁はなかったけどね😢
>レギュラーマンさん
2001ねんといえば、『獣王』が出たり等価交換の波が押し寄せた年ですね。ちょうどその3年くらい通ったホールがありまして。その光景が目に浮かんでいます。そこのスタッフさんも違うホールで打っているのを見かけていました(笑)。
今はもっとパチンコ・パチスロを知らずに入ってくるスタッフさんも多くなっています。うーん、そういうプチトラブルはどうしているんだろう。こんど聞いてみます!
>オカパチクローバーさん
見た目は怖くて中身も怖い人も一定数いるという恐怖がありましたね(笑)。
>師匠2さん
目を閉じたら、その当時の光景も思い浮かべられそう。匂いと音って、記憶を思い起こさせたりしてくれますが、不思議と今のパチンコホールはそういった狙いの仕掛けをしていないとも思うんです(汗)。
>匿名さん
過ごしやすいようなマナーの教え合いとか、スタッフさんもお客さんも仲間意識が少なからずありましたね! で、その輪を乱す行動をとる人はいずらくなって……。そうやって環境が守られていた面はあります。いまは問題児がきたら黙って他のホールに行っちゃいますもんね(汗)。
>nishiさん
nifty時代からありがとうございます! ホールコンピューターと繋がっていなかった時代は凄まじかったですよね。店員さんがホッパーからコインを下皿に出して「僕の分のタバコよろしく」とか、よく頼まれていました(笑)。
BIGが揃った時といえば、隣人同士のちょっとした貸し借りもありましたね。共有不可とかルールを徹底するあまり、ちょっとしたコミュニケーションという武器を捨てている感じがしてしまいます(汗)。
>田中さん
あしのさんは、同僚というか腐れ縁というか。お互いフリーで「私が紹介したわけではないのに」私が書いているところにやってくる率が高すぎるのです。3箇所カブってます(笑)。
衒学は完全に実験ですね。田中さんも薄々気付いていると思いますが、アレは相当な実力がないと踏み込めない領域です。私は怖くて書けません。共通の後輩ライターには「連載開始でやってはいけない反面教師の塊」とケチョンケチョンに言っています(汗)。
>匿名さん
パンチパーマなのに、電源を入れないとか抵抗方法が可愛いですね! 初めて見たパチンコを素人丸出しで打っていた時のこと。権利モノで2回目のV入賞ができず玉を大幅に減らしてしまっていたら、怖そうな店員さんが寄ってきて「兄ちゃん、回転体が4時の角度から8時の角度の間だけ玉を飛ばすんだ」と見るに見かねて教えてもらいました(笑)。
>獣さん
置いてある商品(機械)も同じで、値段(出玉還元)も外からは分からない状況であれば、お店を選ぶのは人の温もり、人情ですよね。それをなくしてしまったら何も武器を持っていないことになります。昔のように放っておいても稼働する超人気機種は少ないのに、そこに気づかないホールが多いのは閉口します。って、まだ良かったほうの時代に危機を感じていた田山プロ。改めて凄さを感じます!
反面教師の塊 ←超ワロタwww
おれは物好きだから彼のアイコンのキモさに惹かれて読み続けたけど、ふつうの読者は二度と戻って来ないでしょうね^^
つか悠遊道は購読料を取ってないから、衒学みたいな読者をバカにしたコラムがあってもいいと思います
あしのは超キモいけど、おれの記憶に残る稀有なパチライターの一人
ちなみにおれの脳に残ってるライターは師匠を含めて10人もいないんですよ
あっ、お互いに返事が面倒くさいから当コメに返事はナシでオナシャス