皆様、毎度お世話になります。

相も変わらず「悠遊道の【アレ】」と呼ばれたい夾竹です。

そして同じく相も変わらず掲載時期未定ながらも敢えて聞きますが、『お住まいの地域はまだ暑いですか?』
※編集注記:仮に掲載時期が既に「秋の装い」である場合には、残暑の時期を思い浮かべつつご一読ください。

自分は「GW(ガイドワークス様ではなく黄金週間の方)からSWまでほぼエアコンのお世話になる」と言うのが約30年ほど前からお決まりになっているのですが、今回はそれにまつわる「語るも悲しい思い出」です。

それゆえ、涙なしでは読めないかもしれません。

部屋と Yシャツ エアコンと私

学生時代の、とある夏の日。

なぜか毎年7月ギリギリまで試験を受けていた僕(単純に単位が足りてないだけ説濃厚)ですが、試験を終えて「やっとこさ今日から二か月間パチンコ三昧出来るぜ‼」と浮かれ気分に。

意気揚々な感じで出かけようとしていると母親から・・・

夾竹母:夾竹!エアコン使い過ぎよ!毎日一晩中付けてちゃ体にも悪いし、いくらかかると思ってんの‼ ※実際は関西弁全開の「電気代なんぼかかるおもてんのん‼アカンがな」

と、呼び止められます。

が、面倒でしか無かった当時の夾竹青年は「電気代俺が払うから」と適当に言い放ち、母親に目をくれる事もなく家を飛び出していました。

勿論、口を衝いて出たセリフは深く考えた上で…と言う事はなく、皆さんお察しの通り頭の中は【ジャスティ】とか【ファンキー7】の事でいっぱいだったのは言うまでもないでしょう。。

そして時は流れ、バイト以外の時間はパチンコ屋で過ごすと言う夏休みは終わりを迎え、9月に入ったある日の事。

帰宅すると・・・

夾竹母:これ、電気の請求書ね。(※くどいようですが、ホントは「これ電気代やで、はろてや」)

と言われ、母親から渡された紙には二桁に近い万円の文字

「え⁉」と思わず声を漏らし、僕はあることに気づきます。

「・・・そういや、家中のエアコンも何もかも、妙に今月はフル稼働してやがったな・・・」と。

当時のピュアな僕は【以前にも似たような事】が有った事を、すっかり失念しておりました。。。

その頃住んでいたのは、駅まで徒歩で20分程の距離にある府営住宅でした。

その後、先に書いた「夏の電気代を自分が払うことになる」の舞台となる「駅まで徒歩2分程の一軒家」をお母様が購入するのですが、ちょっと解りにくいかもなんで、一旦整理しますね。

自分の中学時代から高校を卒業するまでを、この「当時新築の駅からなかなかのディスタンスを取った府営住宅」で過ごし、その後「お母さま購入の駅近くの一軒家」に引っ越したんですね。

んで、なかなかのディスタンスゆえに自分で原動機付自転車を購入する事にしたのですが、ピュアホワイトな夾竹青年はお母様と共に近所の単車屋さんに出かけます。

今考えると不思議ですが、当時のピュアパールホワイト夾竹君はそれが当然だったのでしょうかねえ。

そして、目を付けた原動機付自転車は、確か当時の価格で16万円超えてたと記憶しています。

等価交換ならば4万発ですが、その頃の大阪では2.5円が主流でしたので、6.4万発ですね。

なかなかの額をいざ支払い。と言う時になり、お店の人が「ローンもあるよ」的な事を言い出したのですが、帯同していたお母さまがカットインし

夾竹母:利息が勿体無いから一括で払ってあげる、お母さんに分割払いしなさい

と言う有難いお言葉。そしてワケもわからずに従うシャイニーピュアパールホワイト夾竹君

お母様が一括でお店に支払った額を10等分し、それを定期的にお母様に渡す日々。

そのラストとなる10回目のお金を渡しながら「これで終わりだよね♪」と、満面の笑みで当たり前の答えを予想して問いかけるSPPW夾竹君

 

母への感謝

夾竹母:なに言うてんのん、あと一回利息の分が残ってんがな!

と、お母様改めオカンの思わぬ返答。勿論、必死に抵抗を試みるも、虚しく散るピュア竹・・・。

いくらパチンコやバイトで稼いでも家に現金を入れた記憶も無いし、そもそも自分で買うつもりの原動機付自転車の代金なので勿論いいんだけど、どうも釈然としない出来事でした。

そんな出来事もありつつ、オカンがあんなに一緒懸命に育ててくれたお陰で、今では『ピュアだった竹』も立派なニコチン依存症の『ニコ竹』とか呼ばれる様になりました。

これからも、なるべく永く元気でいてください&10月28日お誕生日おめでとうございます!