今週はこれを書かずにはいられません。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。建前や理屈はどうあれ、個人が行う殺人が許されず、国家が行う殺人が許されるのはなぜなのか。いつの時代も、結局泣くのは市井の人々。一刻でも早くこの野蛮な騒動が収まってくれる事を願ってやみません。

この件に関してまとめサイトでたまたま目にした中に

「まるでかつての大日本帝国の破滅への道を見ているかのようだ」

という言葉がありました。今のロシアがそうかはともかく、日本には事実として野蛮な手段に訴えるしかなかった時代がありました。そして、その時パチンコは世の中から1度、完全に無くなった事をご存じでしょうか?

パチンコは大正の時代にその原形が産声を上げました。日本初のぱちんこ屋は1930年に開店した「平野ぱちんこ店」と言われており、そこからしばらくは新たな娯楽として庶民に受け入れられた時代がありました。

しかし、日中戦争、太平洋戦争と日本が蛮行に突き進む中、1942年、ぱちんこ屋は全面的に禁止され、ぱちんこ台も統制物資として国が買い上げました。この時、パチンコは世の中から1度無くなったのです。

その後、終戦を経て復活するわけですが、そこから80年もたった今、また同じような愚行がさほど遠くない地球上で繰り返されているところに人間の愚かさを感じずにはいられません。

色々言われはしますが、何だかんだ日本は豊かで平和な国です。どんなにお客が減ったとは言え、明日もぱちんこ屋は営業できるし、そこで働く人も遊ぶ人もその大多数がご飯を食べる事ができ、屋根の下で眠る事が出来る。それがどれだけ幸せなことか。

そして、そんな平和な将来は必ずしも約束されていないという事もウクライナ有事が教えてくれます。だからこそ、権力など微塵も持たないボクらが唯一政治に参加できる選挙権は手放してはいけないし、そこで意思表示をするのは大切な事だと改めて思います。

 

戦前のパチンコが、当時を生きる人々にとってどのような存在だったのか。現代を生きる我々とぱちんことの関係とどう違うのか。そんなものは肌感覚が無い以上分かりません。

けれども一つ確かなのは、いつの時代も人間には娯楽が必要で、ギャンブルは危険な側面がありつつも人々が求める遊びの一つで、そうした”余”が無くなった時、人はいくらでも残酷にも愚かにもなれるということです。

どうか、日本がもう一度同じ過ちを繰り返しませんように。そして、”余”のある人々が”欲”にまみれることなく他者を救いたいという気持ちで連帯できる世の中であって欲しいと切に願っています。

平和を。

■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 
  • 累計15年間パチプロを経験
  • CR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上した事を機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。
  • 現在は悠遊道動画チャンネルの何でも屋

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