― 春。

それは出会いと別れの季節。

私の目に溢れる涙は、出会えた喜びによるものなのか、それとも別れの悲しみが齎すものか…。

…いや、どちらも違うな…。

花粉のせいだな、これは

と、何だか詩的な雰囲気での始まりに対しベタなオチを放り込んでしまった気もしますが、今月も月替わりテーマコラムが始まりました。

そして、例によって不肖ワタクシことK.S.Yukiがテーマの発表&先陣を務めさせていただきます。

今月のテーマですが…

思い出のパチンコ店/パチスロ店

となります。

ひと口に「思い出」と言っても、そこに描かれる情景は「若かりし頃のホームグラウンド」「旅先・出張先でフラッと立ち寄ったホール」と多種多様なものとなるでしょう。

まして、遊技人口もホールも減少の一途を辿っている昨今ゆえ、悲しいかな「思い出の中にしか存在しないホール」なんかもあるものと思われます。

勿論私にもそんな「もう思い出の中にしか存在しないホール」が幾つかあったりします。

思い出①~【都内C区I地域L店】~

その駅は、就職後に最初に使っていた通勤経路における乗換駅。

ただ、当初はあくまで「乗換駅」でしかなく、就職時点から数年の間、その駅近辺に何があるかも知らないままでした。

時は流れ、私もパチ・スロを打つようになってから1年弱が経った頃。

歳も近い職場の先輩から「一緒に打ちに行こう!」と誘われ、向かった先は前出の乗換駅。

どうやらその先輩も同じ乗換駅を使っているらしく、駅近辺にも詳しいとのこと。

そんな先輩に連れられ、普段は通過するだけの駅から出て少し歩くと、そこにあったのは「L」と言うホール。

店内に入るや否や、「地元で通っている店より、全然出ている…!」と、衝撃を受けました。

まぁ、この時点では広告宣伝規制前でしたし、その日がたまたま特定日だっただけの事だと後で知るんですけどね(笑)。

そして、出玉もさることながら、気付いてしまった事がひとつありました。

「地元に帰りつくよりも3~40分早く打ち始められる!」と…。

言うまでもなく、L店は自身の稼働範囲に加わる事となりました。

前述したように「特定日にはキチンと頑張ってくれている」と後々気付くものの、そもそも4号機時代は「北斗の拳(Sammy)」及び「北斗の拳S.E.(Sammy)」を主軸として「ヒキに依存するパワープレイで打っていた身」ゆえに、『設定配分』よりも『打つ時間が長くなる事』の方が自身にとって重要項目だった。と言うワケです。

なので、特定日であるか否かなど関係なく、平日の仕事後に足を運ぶ機会が増えていました。

そして、時は流れて訪れた5号機時代 ― 。

相も変わらずL店に足を運んでいたある日、「L店との決別」を決めるに至った事件が起きました。

その日は特定日だった事も相まって、事前に残業にならぬよう調整した上で、仕事の後に一目散にL店へ。

そして数台を経て腰を据えた台を打っていた時に、これまでの特定日には無かったようなアナウンスと店員の動きが店内で始まりました。

台音と耳栓とでよく聞こえなかったのですが、「何かを配る」とのこと。

そしてその後、籠を手にした店員から配られたのは「大手バーガーチェーン店のハンバーガー(所謂【100円バーガー】)」でした…。

特定日ゆえの独自色を出す事も加味したL店側からのサービスなのでしょうが、私の中に湧いたのは「違和感・拒否感・不快感」

と言うのも、遊技中ゆえに当然ながら遊技者の手指はメダルの汚れで黒く染まり、更に、当時は言うまでもなく改正健康増進法施行前ゆえに店内も喫煙可と言う状況。

誰がどう考えても『食とは縁遠いハズの条件下』なのに「すぐに食べなければ美味しさが著しく損なわれるもの」を配る…。

そのサービスのセンスが「食を重んじている私」にとっては許し難かった部分なのです。
前月テーマコラム参照

ほどなく、L店からは足が遠のく事となりました。

ちなみにそのL店ですが、低貸し専門店への業態変更を経て、いつの間にかクローズと言う末路を辿っていたようです。

唯一かつ初めての「地元以外の稼働対象店」は『あまり大事にしたくない思い出』として今も記憶に刻まれているのでした…。

 

思い出②~【都内S区A地域M店】~

今から7~8年前、このM店に何度か足を運んでいました。

と言うのも、某ライター氏とその先輩ライター氏がそのホールで月イチ来店をやっておりまして。
※文中の「某ライター氏」「先輩ライター氏」ともにお名前は伏せさせていただきます。コメント欄で「もしかして〇〇さん?」と予想いただいても正否はお答えしかねますので、あしからず…。

当時の私は、この「某ライター氏」と連れ打ちや食事もご一緒した事があったりと、割と仲良くさせてもらっていたんですよね。

そして、私が悠遊道の前に所属していたサイトに、この「某ライター氏」も実は短期間所属していた時期があったり…と、そんな不思議なご縁もありました。

…まぁ、私がそのサイトに入る時には「某ライター氏」は既に誌面デビューしており、その後あっという間に人気爆発からの誌面卒業、気付けば演者・スロタレントに…と言う感じで現在も活躍中であり、もはや「Twitterが相互フォローである」と言う程度の繫がりなので「ご縁」と言うよりは完全に「疎遠」なのですが…(遠い目)

と、少々脱線しましたが話を戻して。

このM店を知る&行くようになったきっかけは、その某ライター氏と先輩ライター氏への差し入れ届けに行きつつ、店内状況を見てみたかった。と言う、至極単純な理由。

ただ、蓋を開けてみればかなり立ち回りやすそうな上に、機種構成も自分好みと言う好条件。

その後数か月にわたって「二人の来店日にはM店に足を運ぶ。」と言うルーティーンが自身の中に出来ていました。

しかし、多忙によるものなのか契約上の問題なのかは判りませんが、気付いたら定期的だったハズの二人の来店は全く予定無しに…。

『別段、来店だけが目的ではない』と思いその後も足を運んだ事はあったのですが、あからさまに設定状況も客入りも悪化しており、M店も前出のL店同様に低貸し化経由のクローズとなりました…。

表現として適切であるかは判りませんが、「ライターバブルの一端を垣間見た」かのような…。M店にはそんな不思議な思い出が詰まっています。


思い出の中には、他にも「自身と遊技の出会いになったホール」や「会社の同期の女性と連れ打ちしたホール」等々もあるのですが、敢えて変化球感のある思い出エピソードを二つほど綴ってみました。

そして、もしかしたら【今現在、自身が足を運んで遊技しているホール】も、冒頭に書いた「遊技人口とホールの減少」がより悪化してしまった場合は「思い出」になってしまうのかもしれない…と思うと、何とも言えない微妙な気持ちにもなりますね。

でも、少し先の未来に『今』を『思い出』として振り返る時が来るのであれば、その時には『笑って話せるエピソード』の方が多くなっていれば良いな…と。

そんな風に思いを馳せたところで、当方の4月度テーマコラムを〆させていただきます。
(K.S.Yuki)