5月のテーマは「思い出の特殊景品」。キャリアがかなりあるか、東京住み以外でないと出てこないテーマでしょう。というのも……

都遊協の加盟ホールは、いわゆる“金地金”の特殊景品をTUCショップに持っていくスタイルが定着して久しいからです。遠征でもしない限り、これ以外の特殊景品を拝む機会もほぼなくなってしまいました。

暴力団対策ですね。特殊景品を買い取って流通させる流れを透明化させることにより、暴力団が介在する余地をなくそうと取り組まれてきました。1991年のことです。それを推し進めたのは都遊協。当時、その副理事のホールが下北沢にありまして。街宣車は押しかけるは、オーナーの自宅に火炎瓶が投げつけられるは。そりゃ大変なことになっていました。一般紙にも“下北沢戦争”などと書かれていました。

それに屈しず、導入されたのがTUCショップです。そこまでいろいろな特殊景品が混在していました。よくあったのが、ライター石・ボールペン・ペンダントなどでしょうか。

そのホールも2021年4月をもって閉店してしまいました。1991年当時、がっつり下北沢に住んでいまして。おまけに、私がパチンコを始めた年でもあります。そんな危険な地域で、なぜ始めたという感じですが。なので、覚えているんです。初めてTUCショップができた時のことを。

駐車場となっている部分ですが、そのホールが撤退する随分前に建物は取り壊されています。1991年当時は、右側がちょっとお洒落な質屋さんといった風情。その左側に景品交換所がありました。当時はまだTUCショップという名前ではなく“TSRショップ”という名前だったような。ここが1号店かと思います。

 

10万円換金とか、それまでは段ボールのケースいっぱいの特殊景品を持たされていたわけです。今と違って、まだお客さんが残っているのに景品交換所が閉められてしまうこともあって、大荷物を持ったまま右往左往することも珍しくはありませんでした(東京の景品交換所は遠いことも多いのよ)。それに比べると“金地金”は小さいです。「やった、困る程度が軽くなる」というのが第一印象だったでしょうか。

当時は、ホールによって特殊景品はまちまちでした。なので、この“金地金”も数多くある種類の中の1つくらいに思っていましたかね。この当時の私に「特殊景品、全部それになるから」と言っても信じないことでしょう。

なので、都内在住であればパチンコ・パチスロ歴が30年近くないと“金地金”しか知らないかもしれません。

 

○思い出の特殊景品

今も昔も、特殊景品は市場価値よりも低くなくてはなりません。その他のお店に売ったほうが高く買い取ってもらえることになりますから。なので、昔は特にガラクタ同然のものが使われることが多かったです。滅多なものでは驚きません。しかし、それでもなあ……と思うものもありました。

魚の缶詰です。

しかも、賞味期限の切れた。確かに賞味期限も切れているので、主婦が「今夜のおかずにもう一品」とはなりませんけど。1個100円程度なものなんです。500円なら5個。1000円なら10個。出した分だけ重くて敵いません(笑)。

というのもありますが、一番驚いたのは、やっぱりTUCショップの普及ですかね。こういった歴史も知らず「暴力団とズブズブ」なんてイメージだけで語る人には「火炎瓶を投げられても屈せず排除した下北沢のホール関係者に謝れ」と言いたくなります。