つい先日の話、マイホにしてるホールがオープンからちょうど一周年の節目を迎えた。

普段そんなに混んでるわけでもないホールなので気楽に構えていたのだが、当日行ってみると500人オーバーの並びが発生しており、恐らくその並びのなかで最も家が近いであろう筆者は「打ち切り」の憂き目にあい抽選にすら参加することができなかった。ムカついたので別の店に行ってサクッと負けたけども、普段あれだけガラガラのホールに500人以上、下手したら700人くらい並ぶ、というのはちょっとした異常事態であり、要するにこれこそが、今のパチンコ産業の斜陽化の主な原因なのかもしれんと思った。みんな勝ちたいんで勝率が高そうな店に並ぶのは当たり前だけども、ちょっとその傾向が行き過ぎてる感があるんじゃねえかと、パチンコを打つのに電車に乗るのすらイヤな筆者はそう感じた。

筆者は別にプロというわけじゃないし、なんなら養分に近い立ち回りをしてる。ただし、仕事柄完全にただの趣味として打ってるというわけでもなく、メーカーやホールにもバンバン取材するし、パチンコという産業に係わるいろんなポジションの方々の、それぞれの立場や想いなんかもほんのちょっとだけ知りつつ、その上でテキトーに立ち回っては負けておる次第。これはもう仕事は仕事、パチンコはパチンコ、と可能な限り割り切って接するよう自分のなかで付き合い方をチューニングした結果こうなっており、正直なはなし、こういうふうな仕事をする前のほうがよっぽど真面目に稼働していた。

んでこれ勘違いしてほしくないんだけども、ライターは負けるべし、とかそういう話じゃない。

筆者の仕事内容はライター仲間のなかでもめちゃくちゃ独特で、攻略にかかわる要素はほぼない。新機種の試打記事は書いたりするけどもそれはおいといて、どっちかというと業界にまつわるおもしろイベントの取材をしたり、業界に携わる色んな人にインタビューしたり、ふわっとしたコラムを書いたりするのが本業だ。名前は出してないけど業界誌さんからもちょびっと仕事を頂いてるし、たまに動画のスクリプト(台本)書いたりもしてるし、それに出演する事もごく稀にある。これで食えてるのがミラクルなんだけども、そういう多方面展開でいろんな仕事してる結果、業界全体に対する想いみたいなのがちょびっと別方向にいってる節はあり、個々の勝ち負け、というのがわりとどうでも良くなってる部分がある。勝つ人は勝てばいいし、負ける人は負ければいい。「遊技」のギの字はワザと書くとはいえ、個人的にはギャンブルなんか運否天賦で構わんとおもうし、ギの部分に面白さを感じる人だけ勝ちにこだわればいいと思っている。もちろん筆者だって負ければ悔しいし腹も立つが、「腹が立つ」のと「面白くない」のは別で、筆者は負けても面白いからべつにいい。

ところがどっこい今は「負けは悪」みたいな風潮がすげー強くなってて、いわゆるプロ的な立ち回り以外はクソであるみたいな人がめちゃめちゃ増えてる。負けを許容する優しさとか、それを笑う鷹揚さみたいなのが極端になくなってきてて、結果として冒頭の、平日ガラガラ、周年祭500人、みたいな状況になってるんだと思う。もちろんこれは情報ツールの発展とか広告規制の影響とか機械性能の変化とか色んな要素が絡んでる話なので一概には言えないけれど、結局のところ「負けたくない」が行き過ぎてるのが今で、それが続く限りは業界全体の縮小は続いていくと思う。そりゃ当たり前。金が回らなくなってるんだもんホール。

休日にフラッと遊びにきた父ちゃんが期待値が全然ない台にサクッと2万くらい入れて飽きて帰るのを見て、自称プロが「バカがいいところヤメていった」とクスクス笑ってるのが現状であって、店からしたら父ちゃんの方が偉いに決まってるし、自称プロのひとはそういう父ちゃんを増やすためにも「ああ今ヤメないほうが良いっすよ」くらい言うべきなんだけども、そういうシーンはこの5年くらい見たことない。

何が言いたいかというと、2000年ごろと今の遊技業界を比べた時、基本的な構造として「負けたくない客」が増えすぎてるのが一番の変化であり、これはやっぱ単純にみんなお金がなくなってるとか、あるいは趣味の幅が広がって余暇としてパチンコを遊んでるユーザーが減って、篩(ふるい)にかけられて残った層のなか「金づる」としてパチンコ・パチスロを見てるひとの構成比率が上がりすぎてるのは絶対あると思う。これはお金がかかった遊びがが先天的にもつ一種の宿命ではるんだろうけど、このままじゃホント先がねぇよなぁと、眼の前で抽選打ち切りになってぷんすか怒りつつ、そういう事を思った。

みんな近所の過疎ホールでテキトーに遊んで、テキトーに勝ったり負けたりしようぜ。俺はそういう人とこそ、本当に友達になりたい。