いろんなトコで見聞きする、パチンコ頑張るの声。また、パチンコ頑張って下さい、の声。

私はどうしても、この言葉に違和感を感じる。

パチンコって本来、そんな頑張らなければならないものなのか。もっと気軽に接した方が良いのではないか。仕事や勉強に頑張って、パチンコは本来楽しむものではないのか。

プロに対し、パチンコ頑張って下さい、も何か違う。パチプロを肯定してる時点で何か違うと感じる。パチプロなんてなるもんじゃない、多くのパチプロがそう言っているのもむべなるかな、である。パチプロなんて、ストレスも含め身体に悪いことしかしてない稼業でもある。

パチンコは勝ちを目指している。でも、そのために頑張るなんて思わない。たかがパチンコでそんなプレッシャーなど受けたくない。所詮遊びだから。

私の今年のテーマは、「楽パチ」。つまり、楽しむパチンコである。毎年、年の初めにテーマを掲げているが、「もっと負けよう」とか「量を積む」とか、近年では「楽しんで勝つ」とか。そしてたどり着いた「楽パチ」。もう今後はずっとコレでいい、とさえ思う。

パチンコが好き。好きだから、打ちたい台があれば遠征してでも打ちに行く。そこに、頑張るなんて大それた言葉はない。ただ、打ちたいから遠征など苦にならない。ただ、好きなコトをしてるだけ。

逆に、頑張ろうなんていう気持ちなら長くは続かない。たかがパチンコにいちいち気を引き締めることはない。

子供の頃、木の板や釘でパチンコ台(スマートボールに近い)を作ったのは、好きだったプラモデル作りと同じ感覚。その遊びの延長で、うまくやれば対価が得られるとなれば、真剣にもなる。でも、遊びに真剣であって、勝たねばというプレッシャーは感じたくはない。

これは、ある程度はそう自分に言い聞かせないといけない面も。たかがパチンコだけどそれをする過程でイヤな事もいろいろ発生するもの。嫌な客。お店、店員からのプレッシャー。不ツキ。理不尽な仕打ち。

これら負の要素は軽減し撤廃していかねばならない。孤独なプロが孤高に見えてその実人との繋がりを欲しているのは、負の要素を軽減撤廃したいから。言い換えれば暗くなりたくないから。楽しくないパチンコであっても光明を見出したいから。

パチンコは楽しんだ者が勝ち。言うは易き行うは難き。イベントに並ぶ。心の中ではお店から、またアイツこういう時だけ来てやがる、と思われてるだろう、と思う。目の前にニンジンをぶら下げてやったら、しっぽフリフリよだれ垂らしてる、と思われてるだろう、と思う。

朝開店前に並ぶ。心の中ではお店から、またアイツ、あの台を狙いに来てると思われてるだろう、と思う。そして道行く人たちから、白い目で見られているのだろう、と思う。

こう思ってたらパチンコが楽しいハズがない。そんな事思わずにノーテンキにいればいいのだけど、元来がそういう気質でないので無理。プロが敢えてノーテンキそうにしてる訳はココにある。そうなり切れないが為、ある程度は強制的にする必要がある。

パチンコは楽しむ物。単なる娯楽。たかがパチンコ、そんなに力むことはない。今日もそう言い聞かせてるのである。そして自作のハロウィン演出もあくまで楽しく。