前回からの続きです。
他にも組織に属している友人知人はいた(いる)。
・パチマガで活躍した村上プロとは、昔TVでご一緒したり共通の知り合いがいたりで、今も年一でお年賀のメールをしている。
・互いが若い時代に知り合ったFさんはピンで長くやった後に組織の人になったが、CR撃墜王という機種で3カ月同じ店の同じ台を追って何百万も稼いで、同じ開店廻りのプロからも一目置かれたという人。
再会してから転身を知った自分にも、昔と変わらぬ態度で接してくれたのはありがたかったもんだ。
・別のF君は地元が同じ福生のヤンチャ坊主だった。心根が優しい子なのと人当たりもあったのかな。辞めてパチンコから離れる前には、台割り(複数の組織がかちあった時、それぞれのグループの座る台数を振り分ける役目)もやったという、そこそこの顔になっていたらしい。
自分がジグマを続けられなくなり、店を廻り始めて以降に嫌な思いをしなかったのは、彼の威光があったのかもしれない。ありがとね。
・以前ブログの機種回顧録で書いた麻王伝説の店で、たった一人サーキットウルフを打っていたHさんも挨拶だけはした。
あの世界も結局は個人の才覚なので、平常と開店を天秤にかけて、両刀使いの人はけっこういた。というか、ウデが立つ人は平常でも普通に勝っていたのですよ。毎日大きな開店があるわけでもなかったし、あっても同業が大勢い過ぎて座れなきゃ意味ないんで。
・フットワークが軽い別のHさんも、その同じ店で話すようになったっけ。ちょっとサモハンキンポーに似ていて、目を細めた笑顔は人の良さを感じさせてくれたな。
そうそう、昔ターミナル駅のミサイルの入れ替えを覗いた時、オープン直後に入ったらシマ全員が開店プロ。「空き台の釘くらい見られぬものか」と通路を歩いたら、後ろから口々に「安田だ」「安田だ」とヒソヒソ声が聞こえてきたことがあったなあ。
もう恥ずかしくて恥ずかしくて、「勘弁してくださいよ~。ちょっと見に来ただけなんです!」と心の中で叫びながら、赤面しつつ速攻で退店したのだけれど、そん時はそのHさんもいたのに知らんぷり。
「おっ、安田じゃねえの」くらい言ってくれたら、自分も少しは居場所があったのにさ(笑)。
でもまあ、前回のSさんじゃないけれど、みんないなくなった。彼と同じように稼いで辞めた人もいるし、職に就いたとか郷里に帰ったという噂の人もいる。
当然のことながら、仲良くなった何人かの人は皆さん技術もハートもあった。自分は
「スタイルが違えども、結局は個人。一人一人違うのだし、組織の打ち手だからとレッテルを貼ってしまう必要はない」
そう結論づけるのです。
もしかしたら、今軍団と呼ばれている人達もそうなのかな? そっちは付き合いが全然ないんでわかりませんがね。
安田さん
Sさん夫婦はプロになる前に当時は大型店だったプラザ最上で主任をしていたんですよ(笑)
僕も奥さんにアポロで演歌道の釘を見て、と言われ見てあげて3000個終了して感謝されました(笑)
あの夫婦はガツガツしていないから好きでした。
N氏さんへ
なんとまあ、そんなことが!
色々と縁がありますねえ♪