田んぼをしないといけないパートさんがお休みされることもあり、超忙しいGWも終わった頃が玩具売り場の端境期。この頃、東京おもちゃショーへ各店主任連中となかなか寝付けない夜行列車に乗って出張したものでした。

幕張メッセの大きさに驚かされ、コンパニオンの美しさに見とれ、沢山の動くフラワーロックにワクワクさせられました。まあ、そのコンパニオンの数も年々減少していきましたね。

遠征の話で言うと、私が不在の時にアルバイトが客注を受けることがあり、基本安請け合いしないこととしてましたが仕方ありません。受けたリカちゃん人形の着せ替えの赤いドレス。こういった物はいつ生産されるか分かりません。地元のおもちゃ屋さん周っても無く、公休日に3時間かけ京都の百貨店まで探しに行ったことも。

赤い着せ替えドレスありましたので自腹で購入後、売り場調査。まあ百貨店がいかに多くの店員を配し、良い専用の什器(シルバニアファミリーなど)を貰ってるかなどあまり参考にはなりませんが、タダで京都まで行くことはありません。桂にあったパチンコJ店へ寄り、攻略機テンプターを1台打ち止めにして帰途に付きました。ちなみに、このジュラク店では9戦全勝でしたが、強面店員さんが遠くから見てたこともありました。

公休日に遠征と言えば、自家用車(ガソリン代もちろん自腹)使い仕入れ目的で大阪まで行ったこともありました。玩具売り場でも端末機を使って発注するEOSが導入をされましたが、玩具売り場にこのシステムは向かない。棚割りが決まっていていつも同じジグソーやプラモデルが並んでては楽しくありません。

もともとジグソーやプラモは好きなこともあり、これを扱う問屋さんまではせ参じ、倉庫に入らせてもらい、初めて見る柄のジグソーやプラモ、売れそうなのを片っ端から台車に積みました。

そして入荷し、好きなように陳列。そして売れる。大型プラモの大和、や、天橋立柄のジグソーなど私の選んだ物から売れたものでした。エリマキトカゲが流行った時、本部はこの柄のジグソーを沢山仕入れましたが、私はディズニーやラッセンをエンドに並べました。

ジグソーで言えば、1000ピースであってもメーカー毎にサイズが異なり、パネルの在庫管理する際に違和感感じましたね。アルミに加え、木製パネルも登場し、何故サイズを統一しないのか、という感じでした。

ロボットプラモでは、ガンダム、次いでマクロスシリーズが売れましたが、エヴァンゲリオンが初入荷した時は初号機中心にガンダムを凌駕しました。エヴァはプラモで初めて、人気コンテンツであると知りました。そう、パチンコで登場する何年も前のことでした。

ミニ四駆も大流行し、ミニ四駆コースを使って競争する、というイベントをしたこともありました。そんな中でも、車、船、戦車、飛行機、お城の各カテゴリーの在庫バランスは常に意識しました。

さて、公休日を利用して大阪まで仕入れ遠征すると、その問屋担当者とは当然親しくなります。私の、日本一のおもちゃ屋を目指してるという話から大阪のお勧めおもちゃ屋さんを案内されたり、自宅へ呼ばれたり。

年末の繁忙期、優先して私のお店へ応援に来られ、営業中にジグソーパネルを補充していただいたり、担当だったOさんにはよくして頂きました。だんだん玩具問屋さんも閉業されていきましたが、Oさんの問屋さんはまだ健在の様子。お元気にされてるのでしょうか。

玩具では時々、社会現象とも言えるヒット商品が出ることがあります。代表的なのが「たまごっち」。いくらでも欲しいけど、こういった商品はいつ入るか分からない少数配分制。なのでお客からの注文も受けれません。1度、忘れられない出来事がありました。

6個入荷したある日。学校の授業が終わり、売り場に生徒さんを見かけるようになったタイミングでレジ前に並べました。したらどこぞのオヤジが現れ、後ろに並んだ女子学生尻目に「これ全部」。そして「俺は客やど」とのたまった刹那、1人1個のPOPを付けるべきだった、と後悔後の祭りでした。

その後、たまごっちのバッタモン(偽物)も本部が大量仕入れし、その時はなんでも売れる状態ではありました。

定番であった毎年シリーズ化されたゴレンジャーからの基本5人戦隊物。これの合金について、主人公の赤以外は各色同数の仕入れとロットが決まっていました。そして決まって最後まで売れ残るのがピンク、次いで黄色。バンダイには、何故ココの優劣を考えないのか、と思ってましたね。

本来の玩具、いや、おもちゃ屋さん。ぬいぐるみのコーナーにはトトロ、猫バス、まっくろくろすけが並んでる。入り口目立つ所ではクマさん応援団長が「ピッピッピ」と笛を鳴らしシンバル叩き、プラレールが動き、天井にはツリメリーが回っている。これが本来の姿。そして行くたびに違う顔をしてる。

まだキン肉マン消しゴムのバンダイがナムコと、人生ゲームのタカラがゾイドのトミーとくっつく前、常に脚立使い天井から吊って楽しい空間を目指した、そんなおもちゃ屋さんな時代もありました。