毎度おおきに!

梅雨が明けたのかどうかは知りませんが、そんな事はお構いなしに暑いですな…。

呑気に散歩を決め込んで歩いていると、冗談じゃなく各所に迷惑を掛けてしまいそうなので『調子が良くても6時間以内にしておこう。』と思う今日この頃のフラフラ竹であります。あっ、一応念のために書いときますが夾竹です。

さて、ここからは『先週の木曜日にパチンコに行ったよー』って話です。

2001年7月4日没

先週の木曜日は7月4日…。言わずと知れた、故・田山プロの命日。もう23年も経ったのね…。

尊敬とかではなく【憧れ】のパチプロ、田山さん。

そして、当人には嫌がられるだろうけど、我らが安田プロこと安田さんにも【憧れ】は勿論、併せて【尊敬】も【畏怖】もある。

勿論、そんな方を相手にしても、臆することなく時折イジったりするのは僕の使命だと思っておりますのでご容赦くださいませ。

夾竹目線での田山プロ観

田山さんに対しての想いは多々あるが、それ文字にしてしまうと、上手く伝わろうがそうでなかろうが必ずどこか足らない気持ちになると思う。

きっと、それは僕だけじゃなくて、同じ気持ちになる人が多いだろうとも思います。

敢えて書くなら、【いつも心の中にある】存在。

キリスト教の聖書に書かれた【神はある】みたいになってしまうけど、自分にとってはそうなんだから仕方ない。

勝ち負けでパチンコを考える時も、文化としてパチンコの事を考えたりする時でも、田山さんは【そこにある】のだから。

無制限な羽根物

羽根物全盛期を思い返すと、眼に着いた台を打ち散らかしてた頃も、無制限の羽根物ビッグシューターと一日中格闘してた時も、同じく無制限の道路工事を打っていた時も、必ず田山さんが頭の中に居て『そんなに一度に出しちゃうとなぁ』とか呟いていた気がする。

『そろそろ鬼の棲家だぞ』という自分の心の中での呟きが、田山さんのソレの如く聴こえてくる。一度もお話した事が無いばかりか、お会いできた事すら無いのに…。

実際の元気な頃の田山さんが同じ店に居たら、きっと夕方迄には遊技を終えて一緒に呑みに行ってたんだろうなぁ…と、厚かましい妄想だけれど、妄想だから赦してもらおう。

若者は馬鹿者

今となっては遅いかもしれないけど、若い頃の行動力が何故東京に向かわなかったのかが悔やまれる。実際に何度もキャラショー関連では後楽園ゆうえんちには行ってたのにね。

東京に住んでる訳でも無いのに、大阪から他人のホーム…田山さんが書くところの【ネグラ】迄押し掛けて行くのも何か違う気しかしないし、もし行っても当時の多くの人と同じでコッソリと横顔を盗み見したりするのが関の山だったんだろうな…。

いっそ東京…せめて関東まで引っ越していれば、【ネグラ】に足を向けてみる事もアリだったかもしれないし、そう思うと、若さ故の怖いモノ知らずと云うか【若さは馬鹿さ】を地で行ってみても良かったのかもしれない。

その手の後悔なんて数えきれない程あるんだし、今も『いっそ福生に引っ越すか?』とか考えたりしてしまう事もある。だけど、そこはそれ。もう馬鹿な若者では無いので、チラッとでもやっさんに迷惑を掛けるのも違う気しかしない。

兎にも角にも、独りでなにも出来ないに近い状態な僕が出来る事といえば、今でも有名なパチプロの命日にパチ屋に行って、久しぶりに球を弾く事くらい。

なお、その当時無制限でビッグシューターや道路工事を打たせてくれたあの店のP甘ボンは1,000円で10回しか廻りませんでした…。

寄りも風車も悪くないし1番廻りそうなツラしてたんですけど、そもそも客が僕1人でしたからね。

小賢しいのは解っていながら、その店の換金率やらからボーダーなんてモノを計算すると18.4回ってトコでしょうか。

そして、10回は単なる下ムラだと思いたかったけど、3,000円まで投入したら29回…。コレで勝てたら何でも勝てるわい。

来年、僕の56歳の誕生日から12日前となる日にも同じ店にパチンコ打ちに行けますように。そして、水曜日に皆さんに読んでもらえていますように。