地元の小売業に勤務した17年間でいろんな方々と遭遇しました。初めて出勤した時の事はよく憶えています。新入社員4人で集まって、緊張しつつ建物の従業員通用口から中に入り、守衛さんに挨拶し中へ。全体朝礼で挨拶をし、教育実習と称し、各人が正式配属の前に3部門を経験。私はまず、日用品の実習となりA主任の元へ。

その見た目ゴリ〇ーマンみたいな強面主任が、またとんでも主任でした。想像をしてみてください。多分想像を超えているとは思いますが。

後に私が正式配属となったのは5階の玩具売場。その売場に居ながらにして、日用品売り場がある下の4階から怒号が聞こえてくることが何度かありました。そう、A主任の怒号です。陳列が気に入らない、そんな理由でパートさんを怒鳴るのです。売り場内で。

朝の日用品グループ朝礼は修羅場でした。毎回A主任が部下に対し怒号を発するから。キーンと耳鳴りがするその怒号の強大さ、といったら。実習期間の3週間の長いこと。そして実習2か所目。これまた目力半端ない精肉売場主任のもと、怒鳴られっぱなしの実習。そしてムーミンパパみたいな寝具売場主任のもと、目の前の布団に寝れたらいいな、と思いながらの3部門実習が終わり、正式に玩具売場へ。

この年齢僅か1つ上の玩具B主任がまた、とんでも人間でした。少し触れた事ありましたが、自分に甘く他人に厳しい完璧主義者。朝のグループ朝礼で新人の女性サンリオショップ担当者に「今月の在庫予算は?」と問う。答えられないと「あなたはどういう心構えで仕事に取り組んでいるのですか?」という詰問攻め。万事がそう。

気の弱いパートさんなど、陰で涙していましたね。朝パートさんに「(売り場内エンドレステープ流す)カセットのクリーニングしましたか?」に小声で「いえ」と答えるとクリーニングしないことの弊害とかネチネチネチネチ文句が始まるのが常だったゆえ。

いつもは残業無制限にてこちらは付き合うしかなかったのですが、たまに「いつも残業してばかりではダメ、早く帰る時は早く帰らんと」と言う。そう、麻雀誘われてる日の決まり文句。

そして私が仕事を覚えてきたら、仕事は全て私に任せ、もう自分は倉庫にこもって雑誌とにらめっこ状態に。それでも外面(ソトズラ、つまりお客じゃなく上司への愛想)がいいので上司の次長からはちやほや、状態でした。

何度ヤメたくなったか分からん1年間でしたが、1年後隣町に新店ができ、B主任は転勤していきました。そして同じくその新店へ転勤した他部門のパートさんから「あんな酷い人だと、知りませんでした」との声が複数耳に入ってきたのでした。

社員2人が1人減り、つまり玩具担当全員で4人から3人になりましたが、むしろ気分的には楽になりました。売り場内でかけてたいろんなアニソンメインのミュージック。その中で、これを聞けば気分が高揚し仕事に気合が入る、な曲が3つほどありました。それは・・。

〇西部警察 ワンダフル・ガイズ 〇仮面ライダーBLACK RDテーマ・Long Long ago.20th Century 〇スプーンおばさん 夢色のスプーン

さて、その後私も転勤。玩具売場が2階で、なおかつ自転車や海水浴用品を売る店外店頭の売り場も無く、つまり1階5階の往復とか無くなり、通勤時間は長くなるも肉体的に随分楽な環境になりました。

まあ、通勤時間短縮のため、自腹にて高速代を払ってましたが、それなどはパチンコ収入あってのことではありました。昼食時にはパチンコ仲間が集まって、ブラボーキングダム談義をしたのもその頃でした。そして、その時の店長さんには私の結婚式に来賓としてお招きしたのですが、まあ前に触れましたが、ノルマ販売などで社員に強要できるタイプの人間が出世する傾向がある、としてました。

それは、店長が女性問題やらかしたケースもやはり頻繁ですが、これはまだマシ。その来賓店長は会社の金横領事件を起こし、懲戒解雇となりました。まあ、友人であった紳士服売場主任からその店長が購入したイージーオーダースーツの代金、何度請求しても支払ってくれないとの嘆き節を聞いてましたので、これを知った時はやっぱり、の感を持ちました。

やらかし最高額は、TVニュースにもなった金庫番主任ギャンブル資金〇千万持ち出し事件ですが、ちょっとした横領&懲戒解雇は何度もありました。まあ、この会社から盗んだ金支払う能力がないと逃げることは不可能ではあります。

その後、やはり遠方に新店ができ、3度目の転勤。ココでは新店の開店準備からさせられました。臨時に倉庫を借り、真夏に商品の配送センターとして運送されてくるトラック便の品々を下ろし、検品、の繰り返し。狭い道を2トン、4トントラックが到着するたびの繰り返しで学んだこと。

それまでは、のどの渇きには炭酸飲料が美味い、からお茶が美味い、そして最後は後味がしない水が1番上手い、と知りました。

地域の商圏にそぐわない大きな5階建ての今のイオンみたいなスーパー。その4階にあった玩具売場。7月にオープンしたその初日。1番最初に売れた商品は、開店時ダッシュでやってきたお客がダッシュでレジに1番のりした、おそらく私が対応した商品。それは特売のヘップサンダルでした。

まあ、その後もいろんな商品が飛ぶように売れ、玩具商品も連日予算達成しました。その遠方地の利便性は悪く、一本道は渋滞し、仕事終わって自宅到着時は日付をまたぐ日もありました。フロア内中央レジ体制であったため、人員に余裕があり、交代制でレジを回して品出しなど没頭。新店ゆえバックヤードも広く、置き場所がないので下の階も、といったこともなく環境は整いました。クループリーダーとして新顔さん達とする仕事、皆ちゃんと仕事する人ばかり、でした。

しかし、1人辞め、1人他店移動、1人辞め、などでやがてあれだけいた人員が補充もなく僅かになっていきました。そして店長からの「店長やってほしいと考えてる」が辞意を決意する決定打となりました。私が従事した4階フロアが撤退消滅される2年前のことでした。

さて、退社後もお付き合いが続いてる元同僚の方々がいます。今年も新年会をしました。なので会社内の話も伺って情報を得ることもできます。まさに彼らこそ私の宝物に他なりません。また、唯一とも言える、仕事ぶりを認めていただいた本部長から自分の意志で降格されたT店長さんへの恩義を忘れることはありません。

さて、前回は次回(つまり今回)で最終回の予定としてましたが、当初は文具、学習机編を最終回と考えており、その後もいろいろ書きたいことが増えていきました。なので、恐らくですが次回をもって最終回と考えてます。