散々『暑い』を連呼していた記憶しかないほどに異様に暑く感じていた夏も過ぎ、『残暑と酷暑って同義だっけ?』と錯覚する事も多かった9月も過ぎて、気付けば10月。

何だかんだで、今年も残すところ1/4なんですね…。

まぁ、どうしてもこの時期になると『時間の流れって早いなぁ…』と感じるというか、あらゆる事にナーバスな感じになるというか。

そんな今月のコラムのテーマですが、既にサイトトップでも公開済みであり、更にはDOK羽根甘さんの昨日公開分の記事にもあります通り…

私にとっての『遊技と神』

としてみました。ちなみに、10月の和名からの着想です。

10月の異称としては『木の葉月』や『小春』なんかもありますが、すぐ思い浮かぶのはやはり『神無月(神在月)』ですのでね。
※補足:八百万の神が出雲に集まる事から『神が居なくなる月=神無月』となりますが、神の集まる出雲においては『神在月』と呼称します。

で、テーマ自体の由来はそんな安直なものではありますが、この『神』と言う語やそれを含む文語/口語表現はあらゆる場面でもよく見聞きしますし、遊技関連でもそれは例外ではなく。

そう言った意味で、漠然としたテーマとして『神』を掲げていますが、特にその意味合いや用法については限定していませんので、『神と崇めるプロ』であったり『神台』、『神がかった実戦』等々、ライター陣に解釈は委ねております。

という事で、私も『どう言う観点でテーマを拾うか』色々と考えたのですが…

そもそも『神』って?

遊技と関連してアレコレ書く前に、そもそも『神』って何ぞ?という部分を考えてみようかなと。

ちなみに、記事タイトルを京極夏彦氏が話を書かれた怪談絵本と同名にしたのも、その辺を最初に考えたかったからだったりします。

で、最初に言ってしまいますが、その存在に関しては肯定も否定もしません。というか、どちらも出来ません

いわゆる『無から有を生み出した創造主』や『全知全能の存在』等の概念的なものは勿論いくつか知ってますが、ただ、それらが真であると言う証明は出来ないがために、シュレディンガー的な捉え方しかできませんのでね。

ゆえに、自身のスタンスというか考え方は『不可知論者』に該当していると思っています。

なので、前述の通りに肯定も否定もしませんが、とはいえその概念であったり『尊崇や畏怖の対象であること』が定着していることは事実ですので、その辺を踏まえた上でコラムの方は綴っていく次第です。

 

その使い方は【ナシ】としか…。

当サイトもYouTubeチャンネルを開設・運用している手前、こう言った事を書くのはやや憚られるかもしれませんが、周知の事実なので書きます。

正直、動画のジャンルを問わずにYouTuberというものは得てしてリテラシーが低いとされており、その中でも『パチ・スロ系YouTuber』についてはその傾向が特に強い個人的に感じています。

そして、そんな連中のうち一部の層が好んで『神回』や『神展開』、『神動画』という【神を含んだ表現】をサムネイル等に多用しているような気がしておりまして。

で、それらを目にしては、激しい不快感と嫌悪感に駆り立てられています。

肯定も否定もしていないとは言え、やはり『神』と言う語はそう易々と使って良いものとは思えませんし、まして『たかだか遊技に係る映像』に対する発信者側の所感なワケですからね。

もっと率直に言えば、こと遊技関連動画で『神回』だの『神展開』だのという言葉を発信者・コンテンツ作成者が用いれば用いるほど、その者が『神』と言う存在を軽んじている事の証明になるとともに、その価値を貶めている。というようにしか思えないんですわ。

まして、誰が何を信じているか判らない中で、何の遠慮も無く『神』の語を用いるのは不道徳でもあるワケで。

更には、前述の通りに『神=尊崇と畏怖の対象』である事を踏まえると、ある意味で発信者・コンテンツ作成者の不遜・驕りとも解釈でき得るかな…と。

前セクションで書いたとおり、自身は不可知論者であり、『神』という存在を肯定も否定もしませんが、それとは違う階層で『神』の語については意味合いが明確であると認識していますので、普通の神経であれば自身の製作したコンテンツに対して容易く用いれない語だと思うんですけどねぇ…。

まぁ、その辺の常識を遊技系YouTuberに要求する事自体がナンセンスって事なんだろうなぁ…と理解しています。

 

優れているもの

前のセクションでも少し触れましたが、『神』の存在云々を問わず、その語自体については意味合いが明確であると認識していますので、他者が作成した遊技機を優れている物と言う意味で『神台』と表現する事には特段抵抗感や否定感はありません

そして、その定義がさまざまである事も承知しています。

現に、立ち回りやすさの面で『神台』と思った機種もあれば、面白さの面、演出等の魅せ方の面等々、色んな視点での『神台』が過去に幾つもあったな…と。

そう考えると、遊技機に対して『神』という語を用いる場合は『多神教的な思想』になるのかもしれません。

そりゃ、『(遊技機として)優れていると思えるポイント』なんて個々人の感覚ごとに異なるワケですし、そこに時代背景やその他諸々の要因や逸れによるバイアスなんかも発生し得るでしょうから『絶対的で唯一の機種』に巡り合う事は容易ではないでしょうし、決める事も出来ないかなと。

自身にも、いつか遊技と離れるタイミングが来るとは思っていますが、そのときまでに『絶対的で唯一の神台』に出会えているのかしら…(遠い目)。

 

気まぐれにも程がある

『勝利の女神が微笑む』という言葉を聞いたことがある方は少なくないと思います。

ちなみに、勝利の女神=ギリシャ神話でいう「ニケ」が該当しています。

言葉の由来等は諸説あったりもしますので詳細は割愛しますがが、この『勝利の~』の言葉自体はかなり浸透していますし、遊技とは言え勝負事である以上は気になる言葉のひとつでもあるかな…と。

ただ、その精度に関してはイマイチな感があるといいますか…。

例えばの話ですが…

  • ハイエナ行為が主体で遊技への矜持も愛着もない『お金大好き』なだけの輩
  • 純粋に遊技が好きで、頑張って打っているものの、技量や知識が足らない者

という2者が居た場合、後者に対して勝利の女神が微笑んで欲しい】と思いませんか?

しかしながら、現実的には前者みたいなカスが美味しいところを掻っ攫うようなが横行しているワケで…。

そんな状況を見てしまうと『勝利の女神さんよ…あなた普段何を見て微笑む相手決めてるんすか?』と言いたくなってしまうんですよね…

そんな風に思う反面、意味が判らぬレベルで僥倖と僥倖が絡み合うような時もあったりするのもまた事実ですし、もしかしたらそこに件の微笑が関与している可能性もあったりするのかもしれませんので、益々判らんなぁ…と。

と、やや軸がブレつつあるこのセクションの終着点をどうするかと思っていたら、とある漫画で物凄く納得したと言うかストンと腑に落ちた『神に関する台詞』があった事を思い出しました。

それは、

■神様はなんもしねえのにえらそうだから神様なんだよ
※出展:夜桜四重奏(ヨザクラカルテット)/ヤスダスズヒト 著

という台詞。

居るとも居ないとも言えない上に、関与の度合いも判らない。

となると、ある意味で上述のひと言の台詞が当てはまってるのでは。と言う感じに思えています。

勿論、あくまでも創作物の劇中のひと言であるので、あくまでも『私の納得に寄与した。』というだけの台詞ですが、それでも話を結ぶにはちょうどいいので引用させていただきました(苦笑)。

 

皮肉の意味よ。

遊技機関連…特にパチスロ関連で耳にする言葉として『検定神』と言う語があります。

まぁ、正直なところ由来や用法はよく判っていないのですが『検定において神の如く絶対的な存在である者』を示すような語であり、おそらく皮肉から生まれたであろう言葉なんだろうな…という想像はついています(苦笑)。

ただ、実際のところ検定試験等における判断は厳正かつ適切であるべきですし、結果は絶対的なものとなるので『…何で皮肉を言う必要があるのか?」と言う点では疑問の残る言葉でもあったりします…。

それにしても、誰が何を以って言い出した言葉なのか。。。

まぁ、それを知ったところで何も個人的なプラスにはならないので、どうでも良い事ではあるのですがw


と、『神』をテーマに色々な角度で遊技に絡めつつアレコレ考えてみたのですが、やはり『神』というものはよく判らないなぁ…と(苦笑)。

そもそも、遊技に限った話ではなく『神○○』のような言葉が世の中にあふれ返っていますし、その実態について割としょうもない内容である事もしばしば

本来であればおいそれと使ってはいけない語だと思うのですが、何故に此処まで氾濫してしまったのでしょうね…。

なんだか、そう考えると『嫌な時代だな…』とも感じます

そう思い至ったとき、前述した漫画の中での台詞がもう一つ脳裏を過ぎりました

■『神様のことを考えなかった日』きっとそれが『いい一日だった』ってことなのさ
※出展:夜桜四重奏(ヨザクラカルテット)/ヤスダスズヒト 著

別段、自身が肯定も否定もしていない存在であっても、やはり概念というか字面としての重みは考慮すべきだと思うので、そう言った意味で世の中で多用・乱用されている事には強い違和感がある。という風に感じてしまっているんでしょうね。

といったところで、最後がやや本懐とズレてる気もしますが、文字数も文字数なのでここらで当方のコラムを〆させていただきます。

(K.S.Yuki)