おはようございます!

10月最終水曜も変わらずに夾竹です。

通院と云う名の野暮用

先日、ヤボ用にてJR天王寺駅前に行ったんですが、用事を済ました後にそのままJRを使って地元に戻った際に何故か急に『駅から自宅まで真っ直ぐ歩いて帰るのが億劫だな…』と言う思考になったので、近鉄難波駅まで歩く事に。

いや、『そこはタクシー乗る流れだろw』と言う皆様の声も聞こえますし、そもそもどう考えても難波駅経由ルートの方が距離的は何倍も長いんですが、気分的にその方が楽と云うかなんちゅうか本中華。

ちなみに、前回も同じルートで帰宅したんですが、今回は少し余裕があったのか、それなりに街並みなんかを見ながら歩けました。

高架をくぐって新世界エリアに突入。すると、いきなりジャンジャン横丁(南陽通商店街)の雰囲気に圧倒…されはしない。

良いことなんだろうけど、昔に比べると妙に小綺麗になって、街並み自体が明るくなっているような印象を受けましたし、実際に外国から来られたインバウンドな人もあわせて凄い人数の観光客でにぎわっておったワケです。

そんな街並みの中で僕はといえば、少し気を抜くと右へ左へ足元がフラ付いてしまうし、視界もぼやけてハッキリしないので、後から見直せるようにiPhoneを片手に何ヵ所か画像を残してみました。

こんな時に、なーんも記録を残さないで、追い追い後悔する。なんて事も多いですからね。

まして、僕の場合は単なる自己満足の域を出ませんが、こうして読者の皆さんに紹介できるだけでも意味がある気もしないでもないし。

で、先ずはこの写真。

『秘宝館』の弓道場って、昔からこの辺りに存在した弓道場とは別物なんでしょうか?

ともあれ、今見直しても相当綺麗で立派ですし、そして何よりも『明るい!』。

僕がまだ成人したばかりの頃だったか記憶が定かではないんですけれども、当時『怖いもの見たさ』みたいなモノに感情が支配されていたのでしょうか。この辺りをウロウロしたことがあったんですが、その時の記憶として【やたらと雰囲気が暗かったイメージ】が残ってます。

その後、30代半ばくらいの頃に仕事中にチャリンコで訪れた際も、仕事で使う為に購入した地図をチャリの前カゴに入れたままゲーセンのトイレを借りて用を足していた5分足らずの間に、地図が【神隠し】に遇ってしまった事もあったなぁ…。その日の朝に大国町の本屋さんで買ったばかりだったのにぃ~。

何ゆえに【お高い地図を自費購入して浪速区敷津東から浪速区恵美須東まで運ぶだけの神々の遊び】みたいな事をヤラされてんだ!って憤ったのも、今では懐かしく感じられます。

ジャンジャン横丁から通天閣が目視出来る大通りまで出ると、やたらと目に付くのは射的屋さん。

 

 

 

やり過ぎ感も否めないけど、ここまでの店舗数がある。って事は、週末には捌き切れない人数の観光客で賑わっている。ことなのかな?

使ってくれるお金もそうなんでしょうか、これは確認してみないといけませんね。

ちなみに、この日は水曜日だったので、お隣の日本橋電器屋街も定休の店舗が多く、もしかしたら比較的観光客が少ない日だったのかも知れません。

そして、僕もだし、きっと関西方面の読者の皆さんも大好きだったであろう、レトロ台専門店として名高い【あのお店】の名残を見つける事ができました。

勿論、今ではひっそりと【名前だけ】がある。と言う状態ですけどね。

今でも覚えているは、羽根モノのスケボーキッズが現役稼動しているのを知った時の衝撃でしょうか。『流石新世界やん!』って意味不明な関心をさせられました。

 

光と闇

最後に、特に意味もなく【二代目通天閣】の画像も載せておきます。

初代は凱旋門とエッフェル塔を合体させたデザインだったって有名なエピソードがありますが、二代目も窓から向かいの銭湯が丸見えだった様な記憶が…まぁ、丸見えと言っても男湯でしたけどね。

ちなみに、余談にもならない戯言ですが、周辺には未だ派手に着飾った女装の美しいオジサン達が生息されていて、インバウンドがどうとか観光客が増えすぎてどうとか問題なんて些末な事なのかも知れないなぁ…と思った次第でありました。

個人的には、新世界が妙に明るくなった事で、逆に闇も深くなったように感じるのが恐ろしいです。