人は周りの影響を必ず受けるもの。でないと、世の中赤ちゃんだらけになっちゃうよね。
パチンコも「すげえな、俺も」と学んだり、「ああ、あれはやっちゃいかんことだな」と反面教師にしたりで、集団の中で成長するものです。
というわけで、自分の音楽的ルーツの話2です。
時はさかのぼり、40数年前。姉がフォークギター(今はアコギと呼ぶのか)を買ってもらったのを見て、安田少年は「自分も自分も」とねだって当時CMで「モーリス持てばスーパースター」と人気だった、モーリスのフォークギターを手にしたのです。
同級生たちとグループを組んで始めたのは、「かぐや姫」という三人組のコピー。
メンバーは南こうせつ(曲と自らを「おいちゃん」と称するクサさが苦手だった)、山田パンダ(どこ行った? 寂しいよ)、伊勢昭三(ロマンチックな歌詞と叙情的な曲で一番好きだった)。
動画は彼らの代表曲の一つ「神田川」
周囲はけっこうそれで満足していたのだけれど、自分は「もっと他にないか?」とラジオをエアチェック(死語か)しまくりました。
それで好きになったのはチューリップや甲斐バンド。当時は「ニューミュージックスペシャル」というTV番組も不定期に放映されていて、「バンドかっけ~」となっていったのです。
動画はめぞん一刻でも使われていた「心の旅」
そして、中学一年の夏休み。あぶく銭が入ったと思われる(パチンコで勝った?)父親の「何でも買ってやるぞ」の一言で、安田少年はヤマハのストラトキャスターコピーモデルをゲットしたのでした。
(続くかな)
少年時代の安田プロ、当時からジョンレノン似でいらしたのでしょうか♪( ´▽`)
はるか数十年前、FMラジオを買ってもらえなかった小学生の私は、TVの深夜番組「Now explosion」→「Soul train」(関西地方局⁈)で流れる洋楽にハマり、そうかといって楽器を弾くセンスとお金はなく、平凡、明星といった雑誌の付録の歌詞カード見てひたすら歌ったものでした(*☻-☻*) ?グループ・サウンズや歌謡曲を知らない、変な小学生でした。ああ恥ずかしい記憶が蘇る(//∇//)
ひーさん様へ
いや、当時からアルフィーの坂崎幸之助さん似でした(笑)。
音楽的には早熟だったのですね。
皆が聴かないジャンルを好むのは、青春時代の自分にとってむしろ誇りだった気がします。
神田川。。中1の時、寝るとき枕元で小さな音で聞いてました。 22歳の別れも好きでした。
その後、サイモン&ガーファンクル、ビージーズ、ロッドスチュワート、ブルーススプリングスティーンなどでした。
高校時代は、マーラー、ブルックナー、シベリウス、プロコフィエフ、ショスタコなどでした。
今でも洋楽、クラシックなど良く聞きます。 宇多田ヒカル、倉木麻衣、華原朋美の初期も好きです。
ギターでは、高校時代、山下和仁の展覧会の絵を凄いと思い聞いてました。(聞いてると自分でギターを弾きたいとは微塵も思いませんでした笑)
おかげさまで、学年成績最下位と底辺パチプロの偉業を成し遂げることができました。まあ変拍子、奇形メロ好きの変態キモ人間の出来上がりです笑
まさかこんな人生になるとは。。 でも音楽はいつも身近です。 マーラー復活”お前を神様の元へ連れていく”
ppさんへ
私と同年代っぽいですね。
クラシックやプログレ方面かぁ。変拍子は苦手です。
音楽は体力もあまり関係ないし、お互い一生を音楽と共に生きていきたいものですね。
興味が近いところではフォーク・クルセダーズ、Joan Baez – Guantanamera、ボブディランMr. Tambourine Manなどの昔のライブ映像をYOUTUBEで楽しんでます。 味わい深いです。
安田さんは、伊勢正三さんから影響を受けたんでしょうね。髪型から想像します。
夜中に、誰もいなくなったホールでかかってる音楽に浸りながらパチンコを打ってました。
“ここのホールの残響はいいな”とか思いながら。。 独特の味わい深い誰もいない寂寥感のある一時でした。
寂寥感のあるホールで寂寥感のある音楽ですね。元ちとせのワダツミの木とか。。
少し世捨て人感のある物悲しさですかね。。 マーラー 私はこの世に忘れられ
ppさんへ
う~ん、幅広いですね。
しょうやんはロマンチックな歌を作るので、大好きでした。
かぐや姫解散後は洋楽方面(後期の「風」はスティーリー・ダンの影響もあったような…)へも流れていったし。
後半のコメントは映像が浮かぶようです。詩人ですなあ。