初めてパチンコで予定終了(打ち止め)して大勝ちし、さらにはたまたま手にしたパチンコ雑誌で「知るべきを知り、やるべきをやれば、パチンコは勝てる」ということを知ってしまった、1989年の春。
当時の私は、メジャーデビューを目指してバンド活動に励んでいたのですが、その日常はというと、たまに日雇いとか短期のバイトで小遣いを稼ぐ以外は、ほとんど家でゴロゴロしてるだけという、いわばニートのような生活をしてたんですね。お金は無かったんですが、時間だけはたっぷりあったわけです。
家から徒歩数分の最寄り駅周辺にはパチンコ店が4軒あり、もっとも規模が大きな北口のJ店に、例の「ファクトリー」がありました。雑誌に「ハネの開く角度が大きいセンターチャッカー周辺のクギが重要」と書いてあったので、空き台のヘソを片っ端から見比べてみたんですけどね。当然のことながら、駆け出しの素人に見極められるはずなど、ありません。
そんなわけで、最初のうちはテキトーに台を選んで打ち、数百~数千円程度の勝ったり負けたりを繰り返していたわけですが、ほどなく「終了台を狙い打つてばええんちゃうの?」と気づきます。
終了台とは、文字通り打ち止め終了した台を開放した台のことで、J店の場合は終了後、特に抽選とかもなく「終了台」のプレートを入れるだけで、すぐ開放してくれました。
もちろん、他にも終了台を狙ってる人はいるわけで、必ず取れるわけではなかったのですが、午後3~4時頃になると、レートが入った空き台がちらほらあったり、あるいは終了まではいかなかったけど玉が沢山出た「優秀台」というのもあって、そういうのを積極的に狙うようにしました。
そうこうしているうちに、「何日も続けて終了する台」とか、「日によって終了台が多かったり少なかったりする」といったパターンみたいなものが、おぼろげながら見えてきました。そしてさらに、ファクトリー以外のシマにも視野を広げてみると、日によって「店が出そうとしているか取ろうとしているか」というのも、なんとなくわかってきたのです。
たとえば…当時の関西では、組合の申し合わせにより輪番で定休日を設けることになっており、近所の4軒の店も、毎週火曜日になると必ずどれか1軒が休みになりました。こういう日は、要注意ですね。ほかの3軒の店が、休みの店から流れてきた客から、ここぞとばかりに取ろうとするわけですから。現に私の場合、J店が休みの時は、J店と規模やラインナップがほぼ同じの、駅の反対口にある姉妹店のM店によく行ったのですが、勝率は芳しくありませんでした。そもそも、M店のパターンを把握していなかったのもありますし。
ともかく、クギが読めないなら読めないなりの台選びの方法ということで、いわゆるマーク戦法を駆使して立ち回り、勝率アップにつとめたわけですが。まぁ、実際のところ戦果は、お恥ずかしながら常勝というにはほど遠かったですね。
なんせ、パチンコの面白さや楽しさに目覚めたばかりの、ぴっかぴかの一年生。新しかろうが古かろうが、目にする台すべてが、自分にとっては新台であり興味津々であり、ファクトリー以外にもあれこれ打って打って打ちまくりたいという衝動を、抑えきれなかったのです。
…というわけで次回は、当時の魅力的な機種を、あれこれ取り上げてみたいと思います。
再見!!
パチンコの勝ち方はすぐに覚えました(●学生の時だった)
そして、換金出来ると知った時「こりゃいいやー一生遊んで暮らせるわい」と思いましたよw
遠い昔で今のパチ屋では考えられないのですが、ずっと勝ってるとトラブルんですよね
店 常連 あと1番やっかいなのがプロを自称する893w あにカツ兄さんみたいのがすぐ横に来るんですよw
一発台の島はそう怖くなかったのですが、怖かったのは裏モノのスロかなーハイシオとかピンクブーとか(外に呼び出されるなんてざら命の危険を感じたこともありましたねw)
当時の機種を振り返ると同時にそういう当時の特殊事情などもアニかつ兄さんの視点で書いてもらえたらうれしいです
応援しています