平成も残すところ1週間ほどとなりました。悠遊道では、ドラゴン広石さんが平成どころか昭和から回顧録を書いていらっしゃいますが、この更新タイミングは振り返りしかネタが思いつきません(笑)。

私は平成2年(1990年)3月に高校を卒業し、その4月にパチンコデビューをいたしました。ほぼほぼ、平成は私のパチンコ・パチスロの歴史でもあります。少しは平成を語る資格があるかな。そう思ってみたりして。

○2号機・3号機時代(平成元年〜平成四年:1989年〜1992年)

平成元年(1989年)は2号機時代。基本的にボーナスは固定枚数。最大60Gの小役確率アップ区間となる“フルーツゲーム”が存在した2号機。ゲーム性としては、5号機に近いものがあります。正規基板はマイルドな出方。

この頃の“勝ち組”の主流は、まだ1号機だったかと思います。ストック機のルーツとなっている“吸い込み方式”の『ニューペガサス』がどこにでもありました。インターネットなどの情報がない時代。身銭を切って得た知識を持って立ち回る。台上カウンタも台間サンドもない時代。誰が何回コインを借りに歩くか(吸い込み枚数で天井を推測)。そんなギラギラした視線の飛び交う鉄火場が多くありました。

2号機も射幸性を問題視され、平成2年(1990年)の遊技機規則改正で3号機へ。ボーナスの獲得枚数は減らされ、フルーツゲームは廃止。また、SINボーナスの集中という付加機能のパワーダウンを余儀なくされました。人気が出るわけがありません。3号機は、その大半が不正改造された“裏モノ”となっていきます。同じ機種でもホールによっては違うバージョンということも。やはり、身銭を切って得た知識が大事でした。

私がのめりこんだのは平成3年あたり。パチスロは当たり前のように連チャンするものと思っておりました(笑)。そんな初心者でも楽しめたのは、パチスロで利益を出そうと考えていなかったホールが一般的だったからです。当時はパチンコが絶好調。片隅の一角にあるパチスロはトントンでも稼働率が良ければ十分。いつかウチのパチンコでお金を落としてくれるだろうと思われている存在でした。裏モノは抜くためではなく、出すため。楽しんでもらうためにあったんです。

 

○4号機ノーマル時代(平成5年〜平成11年:1993年〜1999年)

平成5年(1993年)に4号機へと遊技機規則が改正。もちろん、3号機の不正改造対策が問題視されてのことです。『ニューパルサー』の大ヒットはありましたが、多くのホールは3号機以前と併設する状態が続きました。その流れが変わったのは平成7年(1995年)に登場した『クランキーコンドル』からの技術介入時代です。

通常時の小役狙いとリプレイハズシ(効果絶大な花火チャレンジのようなもの)の認知度が急上昇。設定1でも出玉率が100%を超える機種も多く、子供の頃からファミコンがあって当たり前の団塊ジュニア世代(当時20代中盤)が参加人口に大挙して加わります。ゲームをやる感覚で高勝率となって美味しいジャンルを見逃すはずがありませんよね。

まだパチスロのサイトは少なかったですが、攻略誌の存在感も増していき“身銭を切らずとも”情報が得られる時代のスタートでもありました。悪い言葉ですが、教科書に書かれていることをしっかりできれば勝てる時代に。これでもホールがやっていけたのは、低交換率が主流だったのが理由でした。

 

○4号機付加機能時代(平成12年〜平成18年:2000年〜2006年)

4号機は徐々に規制緩和され、モンスターマシンを多く輩出しました。平成13年(2001年)の『獣王』から始まった爆裂AT機時代。1Gあたりの純増が10枚を軽く超す射幸性が問題視され、不正改造機種でもないのに検定取り消しという事態を招きました。その後釜として君臨したのが、こちらも射幸性で問題のあったストック機。4.5号機や4.7号機と規制の連続を経て、平成16年(2004年)に遊技機規則が改正され5号機時代となります。

ということで、正確には平成16年から5号機時代となりますが、5号機として発表される機種数は数えるほど。検定の切れた1号機から4号機までのすべてが撤去されたのが平成18年だったので、便宜上ここで分けさせていただきます。

付加機能が出玉の中心となり、そうそう打って理解できることは減っていきました。多少の実戦よりもプログラム解析重視。これを仕入れるのがスタートラインで、違う挙動をする裏モノは、むしろユーザーが敬遠する時代となっていきました。ホールの取捨選択もそう。煽りメールなどで集客する手法が一般的に。通常営業で身銭を切って状況把握をすることは減っていきました。毎日なんかしらのイベント? それ通常営業と呼びます(笑)。

この時期からさらに射幸性を高める等価交換が主流に。パチスロは儲かると、新規出店やホールの中でのパチスロの占める位置が高まっていきました。業界全体が利益至上主義に走り始めたのはこの時期です。ここまでの歴史が種を撒く作業なら、ここから先は種も撒かずに刈り取るばかり。過言ではないかと思います。

 

ざっとのつもりが長くなりすぎましたね。毒を吐いたところで続きは次回!