今をさかのぼること36年前、新社会人となった私。日用品、精肉、寝具売り場での研修を終え、正式配属は玩具売場係となりました。

一般的なイメージとして、おもちゃを扱う仕事って楽しそうに思えるかもですが、その実特に年末年始は地獄の忙しさ。クリスマス商戦ではギフト包装で指紋が無くなり、大晦日まで働いて1月2日にはお年玉を持った子供たちが殺到します。

年間を通して自転車整備、早朝出勤にて店頭陳列、季節商材として節句人形の陳列、積雪の中の田舎道の配達、1人で持ち上げ2階の子供部屋での机の組み立て、海水浴用品の空気入れ、スポーツ用品コーナーの上はバットを持ったぬいぐるみを天井から吊るしたり、お客様からの「点かない」という苦情対応、仕事帰りにファミコンの接続も毎度の事。

ウサギの応援団、プラレール、ツリメリーは常に動かします。お昼休みにしかTVゲームソフトの発注(専門誌は自腹購入してましたので、精度は自信がありました)をする時間がありません。レジを見ながら週2回の文房具の発注、補充も普通です。

貴重な休日に取引先まで遠征し、得意のジグソー、プラモデル現地仕入をすることも、なんなら客注商品が取引先欠品の場合、都会の百貨店まで買付に遠征することも(もちろん自腹)・・

さらに、配属時の主任が自分に甘く他人に厳しい完璧主義者という最悪ぶりにて、何度辞めようと思ったことかわかりません。そして通勤は電車、1時間に1本ペースのローカル線にて、到底パチンコなんて行く暇などなかった時でした。

なんとか辞めずに1年余り、やっと主任が移動し、私が昇格。そして待望の車を購入したのでした。

まあ、若かったですね。選んだのは真っ赤なスポーツカータイプの新車です。マイカーを得てからは仕事帰りにパチ屋へ寄る時間もできました。自宅から反対方向でもへっちゃらです。

その逆方向店で、攻略ができる台を見つけました。盤面に機種名の記載が無く、お店のマイクで「センターコーナー」と言っていましたので、当時そう呼んでいました。後にパチンコ博物館牧野館長より、「テンプター」だと思うと言われて以降はそう呼ぶようにしました。

京楽の権利物、虫食い状3つ穴回転体付きの台で、回転体の長穴の位置によりタイミング打ち、大当たり中は右打ちする打法が有効でした。

この台が面白くて、毎晩のように通ってたある日のこと。

当時は200円単位の投資で、あまり投資をすることなく打ち止め4000個定量を目指しており、その日も首尾よく打ち止めまで。意気揚々と換金をして赤いスポーツカーの待つ駐車場へ向かいました。

そして、車に乗ろうとして、いやその前、遠目に見ても違和感が。そして近づき、背筋が凍りつきました。

1年余り貯めたお金を頭金にして初めて買った車。の初めてのキズ。それも悪意に満ちた半端ないヤツ。

単に擦ったレベルじゃない、テールランプがぶっ壊れ、右から左までえぐれたような、負けた腹いせに赤いスポーツカーにトラックか何かで八つ当たりしたような感じ。

それ以降は、車の停める位置に気を遣い、2台目以降、2度と赤い、また、スポーツカータイプの車を選ぶことはありませんでした・・


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