ポチの通う拝島モナミでは、朝から二時間は持ち玉遊戯が可能で、その間に無制限絵柄やLNで当たれば、その絵柄に沿って継続遊戯可、それ以外は12時を過ぎの一発目の大当たりでの交換となっていた
こう聞くと無制限を引いた日以外は、毎日昼過ぎには終わりそうなものだが、そこはパチンコ
乱数の隔たりによって、12時までの間に万発近い出玉が出来て、その後夕方になるまで当たらずに、なんてことも度々あった
そのときに打っていた台は勝負伝説
ダービー物語や、綱取物語などもあったが、店に巣食うジグマが他店のジグマを敵視するように、同一店舗でも機種ごとに縄張りの様なものが存在し、ダービー物語にいるねちっこそうな爺さんプロや、綱取物語にいる黒ぶちメガネにリーゼント、ぽっちゃりアメカジ兄さんは、ポチが入り込むことを許さなかった
本当は店からも追い出したかったはずだが、店の頭だったTさんが自分のシマに入ることを認めたのだから、他のシマの専業は、自分のテリトリーが荒らされない限りは容認せざるを得なかった
ポチとTさんが打っていた勝負伝説は、店独自のオリジナル仕様で、大当たり時だけでなく、通常時から右打ちを推奨する台だった
当時は、下皿にハンカチを詰め込んで払い出しエラーを起させると、保留玉が書き換えられ、連チャン率がアップするような攻略法が、台の上部にでかでかと掲げられてあったりする時代
勝負伝説も呼び出しランプの上に右打ち推奨の貼紙があり、戻しのある左打ちよりも、戻し皆無の右打ちのほうが、回転率が高く調整されていた
回る台なら時間400を超えるような無茶苦茶な仕様になっており、サービスタイム中に4発程度の無制限チャンスがあった
※当時のデータ(終日稼働で5000近い回転数…)
12絵柄中、無制限は『7』一つだけ
種銭の心もとないポチは、3日に一度入る無制限の日に3万円強を拾い、あとはできる限りお金を使わないよう、家に帰ってゲームなりマンガを読む生活を続ける
そうして無駄に時間をかけ、なんとか、もう一押しできるような小銭が貯まりはじめると、月に二十日くらいある昼からの時間の使い道を真剣に考えるようになる
期待値がプラスとはいえ、1/12のLNを低時給で打ち倒すなんてことは、釘でも〆られたら不毛すぎるので、他店をまわることにする
アビコ兄さん(※2)の通っていた店や、安田先生の伝説のホール西川、ポチやTさんのいるモナミなど、身内のホームに入替があれば、互いに声をかけ、通うホールの状況が悪いときにはお邪魔するという仕組みが出来かけていたが、いまのように毎週のように入替があるわけでもなく、3日に2日と時間の空く生活は埋まりようもない
しかし、そのように身内の店に行くことによって、他店で打つことに馴れてゆき、ポチは徐々に一人でも開店をまわるようになる
※2ポチの年代の人間の多くがそうであるように、パチンコ店通いをスロットのモーニングから始めたポチ(生れてはじめての機種はコンチネンタルⅡ)は、今は大学の先生をしている、パチンコ狂いのバイトの先輩から、同級生なんだとポチの運命を180度変えた人物を紹介してもらう
ジグマという生き方を示してくれたTさん、勝ち続けることを叩き込んでくれたここのボスこと安田先生
そして石橋さんが提唱し、安田さんが皆に分りやすく応用、そして普及させたボーダー理論、これをポチに最初に教えてくれたのは、ポチの運命の人、知る人ぞ知るパチンコライター、『アビコユーキ』兄さんである
そもそもアビコ兄さんが安さんにぶっこんで、金魚の糞のようにアビコ兄さんにくっ付いていたポチを、ついでに的に認識してもらったのが、安先生とのご縁の始まりでした