前回10/11

また幾月かが経った

地元の小さな店で見回りをしていた羽島さんを見かけ、ポチはいそいで駆け寄る

次に羽島さんに会ったときに、白谷さんとの間を何とか取り持ってもらえないかお願いし、それが叶わないのなら、せめてひとことポチが謝っていたと伝えてもらおう、と決めていた

「おお、ポチ。ん、ああ、白谷か。あれから俺からも連絡入れてみたんだけど繋がらねーんだわ。会の人間にも聞いてみたんだが、誰も知らねーし、会ってねーっつーんだわ」

「は、羽島さんも繋がらないんすか。それに誰も見かけてないって…」

「まー、この業界、やめるやつの半分くらいはそうやって突然消えるしな。生きてんだか死んでんだか知らねーが、まー白谷の場合なら大丈夫だろ。金でも貯まって、以前から言ってた彼女と結婚でもしてよろくやってんじゃねーか」

「…」

記憶の中に転がっていた、違和感を感じた幾つかの出来事、それらが突如繋がりはじめ、不吉な一本の線となってゆく

心臓が凍り付いたような息苦しさ、不快感

羽島さんは知らない

ポチが、あの日、白谷さんにお願いした、常人では考え付かぬほどの無茶なお願いを

それを受け入れた白谷さんを

あの夜、白谷さんが言った

「わかった大丈夫だ、安心しろ」

という言葉から、なにか言葉以上に大きな意味が含まれていたように感じたことを思い出す

モナミのミサイルの導入日に、不思議なほど誰一人として開店屋さんが現れなかった事

羽島さんが言っていた武闘派とのやりとり

そして、増島さん(ケツ持ちのヤ○ザ)が捜していたという話

思い返せば、

「おい、ポチ。この前、上の人間からプレッシャーかけられたぞ、そろそろ限界だろ、いい加減腹括ってくれよ…」

と白谷さんが、ぼやいていたことがあった

ポチは何度かあったそのような白谷さんの言葉に対して、満面の笑みを浮かべ

「いやっす!!!」

と、いつものように、わがままでいることが愛されることだと勘違いして即答していた

 

吐き気が止らない

 

想像する

筋の通った口実を得て、ここぞとばかりに、全身から怒気を発して白谷さんに迫る武闘派の面々を

想像する

自分が間違っているのを理解しながらも、ポチの願いを聞いて一歩も引かぬ白谷さんを

想像する

その白谷さんに迫る人間が、もし武闘派の人らではなく、その上の『身体じゅうから暴力の匂いのするあの人』であったならと

 

一緒に麻雀をしているときに、会費を回収しに来たその人は、先天的にか片方の目が閉ざされており、それを隠すためか前髪は中途に伸ばされていた

まとまりのない髪、現場焼けしたような肌、着古して茶色く変色したデニム地の上下、細い皮を編み込んようなベルト、あまり景気がよさそうには見えないが、会費をしまうための使い古された合皮のセカンドバッグからは帯の付いた札束が見え隠れしている、というか、見えるように出し入れしている

そんな光景が視界に入らないよう、周りの人間は必死に意識を逸らしている

その人は、生まれ持ったハンディを建設的に捉えることなく生きてきた感じで、世に存在するありとあらゆるものを憎んでいるような気配が満ちていた

お金はきっとあるのだが、この人から、車やお酒、女性の話が出たことは一度もなく、いつも誰かを地獄に陥れた経緯や、その後の話を、心の底から愉しそうに話していた

笑いながらも、話相手の動揺を誘うように、合間々々に赤紫色にただれた瞼を前髪の隙間から覗かせ、それを見た相手の表情のどんな変化も見逃さないように、瞬間も視線を逸らすことなく、食い入るように相手の顔を見つめている

白谷さんは、愛想笑いを入れる余裕もなく、ずっと緊張した面持ちで、相槌を打っている

同じように強面であっても、上からも下からも好かれ、どこか品の良さが隠せない白谷さんと、世にある、ありとあらゆるものを呪うことでしか自らの境遇を受け入れることが出来ず、生きることが呪うことであるようなこの人は、あまりにも対照的だった

たぶん、この人は白谷さんのことが気に入らなかった

振られつづける話には、答え方によっては白谷さんが窮地に陥るような罠がどこかしらに隠してあった

一通りの罠を潜り抜け、精神をすり減らして目を血走らせている白谷さんを見て、満足そうに「また来るわ」とその人がドアの向こうに消えると、白谷さんは冷たいおしぼりを眼の上にのせ、ぐったりと雀荘の椅子にもたれかかり、「わりーけど、ちょっと待ってくれ」と言って、少しのあいだ放心するのが常だった

ない

そんなわけはない

自分のなかの卑しいヒロイズムが、そんな妄想を搔き立てているだけだ

恩人の不幸を肴に、悲劇的な自分に酔う、これはそんな最低の行為であり、妄想だ

ここは日本で、世界は実際そんな狂気じみたことは起こらない

起こらない

しかし思い返すと、ありとあらゆる自分の言動や行動に吐き気がとまらない

あまりにも、醜い自分を直視できない

何の落ち度もないのに、そのすべてのツケを、白谷さんが支払ったのかもしれない

いや、さっき自分を戒めただろう

そんな想像は、醜い自分が悲劇のヒロインになるための最低の妄想だと

テレビやドラマの世界じゃあるまいし、そんな事は起こりえない

ありえない

ありえるわけがない

が、千に一つ、万に一つ、そんな事が起きていたならば…

 

自分にいま何ができるのか

白谷さんのチームの人間に聞いても、持っている情報はぽちと変わらない

手にある情報は、最寄り駅と電話番号だけ

もし、その最寄り駅で朝から晩まで探し続ければ、白谷さんにあえるだろうか

 

想像する

連日、駅に立って白谷さんを捜す自分の姿を

想像する

以前言っていた、地元の店で、平打ちでも打てるかもと言っていた権利物を打っている白谷さんの姿を

想像する

そこで、「元気でしたか」と涙目になって白谷さんに抱きつく自分を

 

しかし

そうした想像は、ただの一つも実行されることはない

繰り返される想像は、少しずつ、本当に少しずつ、自分に都合のいい物へと変化してゆく

そうして、あれほど自分を苦しめていた、劣等感や罪悪感が薄れてゆく

薄れていって

消えてゆく

 

 

 

一年近くが過ぎたころに、一本の電話が鳴る

「ぽちか」

「し、白谷さん!」

体中の血が逆流してくる

ドッドッド、と心臓の音が地鳴りのように後頭部にひびいてくる

「い、いったい、どこで何していたんですか!」

「おう、ぽち、地獄を見てきたよ」

「…え」

「ん~…」

直後、伸びをするような、間の抜けた声を出す白谷さん

「しかし、ちょっと疲れたわ、とりあえず今日は寝かさせてくれ。明日の夜22時に電話するわ」

「え、あ、ちょっと、寝る前に、あ、あの一つだけ、、、大丈夫だったんすか」

「ああ、大丈夫だ」

ふふっと鼻で笑い、すこし嗄れ声ではあるが、その声音から、受話器の向こうにいる以前と変わらぬ優しい笑顔が、頭に浮かぶ

その声を聞いて、身体中の緊張が一気に抜けていくのが自分でもわかる

「わかりました」

「おう、じゃあ明日な、おやすみポチ」

ガチャリと電話はきれる

受話器を持つ手が微かに震えている

忘れていた沢山のことを思い出す

確認しなければならないこと、そして、伝えなければならない数えきれぬほどの、感謝の言葉と、謝罪の言葉

僕は思い出さなければならない

床に就き、ひとつひとつ、以前の記憶を思い起こし、明日、一つたりとも忘れぬことのないように、頭の中で整理する

世の中には取り返しのつかないことというのが山ほどある

白谷さんとの縁は、もう失われてしまったと諦めていた

思い出すたび苦痛を感じるほどの失態

終わってしまったことと理解しながらも、受け入れることが出来ず、消化できぬまま、今日の今日まで意識の奥へと追いやっていた

見て見ぬふりをして過ごしてきた、あのとき剥き出しになってしまった醜悪な自分、それらを明日、白谷さんの前にさらけだす

偽りなく、卑しい自分を白谷さんにさらけ出す、そして受け入れてもらう

もし、もう一度、もう一度だけ機会が与えられれば、と何度も悔いて、願ってきた機会が与えられた

もう同じ過ちは繰り返さない

ずっと、この人の優しさは、この人の育ちの良さからくるものだと決めつけていた

でも、もう、違うことは分っている

他人の痛みを自分の痛みのように感じるこの人のやさしさは、ポチなんぞでは想像もできないような大変な道のりを歩んできた人間にのみ宿るものなのだ

もっと、色んなことを話さなければならない

もっともっと、色々な話を聞かなければならない

そんなことを想像しながら、ポチは気付かぬうちに眠りについていた

 

 

翌日、モナミでの終日稼働を終えたポチは、夜22時、電話の前で、おかしな緊張感をまといながら、白谷さんからの連絡を待っている

しかし、電話が鳴ることはなく、

明け方、待ちくたびれて電話の前で寝てしまったあとも、その翌日も、

それから先ずっと、白谷さんからの電話が鳴らされることはなかった

 

 

というのは偽りの記憶

 

 

翌日、モナミでの終日稼働を終えたポチは、夜22時、店近く、安いだけが取り柄の居酒屋にいる

いつものように、Tさんと一緒に笑いながら遅過ぎる夕食を摂っている

常連客のおかしな挙動を小馬鹿にし、新しい女性店員の容姿がどうこう、低俗な話を、さも愉快そうにしゃべっている

いやらしく眼を細め、大きな声を出して笑いころげている

下品に開かれた口の端に、泡状になった唾をため

イヒイヒと、顔を歪めて笑っている