あれは何度目かの内規改正後のことだった。
デジパチのおまけチャッカーが許されなくなり、代わりにラウンド数が増えた時があった。権利モノも大幅に出玉がアップし、2回権利モノや3回権利モノが登場して、一度に4千個だの6千個といった出玉を獲得できるようになった時代だ。
自分がジグマをしていた店には、まず「タイムショック」というSANKYOの2回権利モノが導入された。
実はこの機種、スペックとしては高確率の180分の1ながら、デジパチのように保留は無くて遅いキカイ。特に儲け効率がいいわけではなかった。
ただし、なぜか大当たり後の権利消化中もデジタルの確率はアップしていて、そこが付け込むスキでもあった。
具体的には、2回目の権利消化中に最終ラウンドを残してデジタルを回す~リーチになったら急いで最終ラウンドを消化~その後にデジタルが揃えば、権利2回分が丸々連チャンとして得になる、そんなウソのような仕様だったのだ(バグか?)。
普通はホールもそんな打ち方を認めない。でも、自分が通っていたホールはやってみたら「いいよ」と。後々はお偉いさん達の中で「いっそ10連チャンしたらハワイ旅行とか特典をつけるか?」なんて話もあったと聞いたくらいだ。
そりゃあ、勝ちますわな。常連さんにはすぐに知れ渡ったものの、知らない人も多かったのだから、その差は歴然。加えて、この頃は節玉の概念を持つ打ち手も少なく、中年以上の人たちはデジパチでもけっこう打ちっ放しだったもの。
コツコツ止めて回すだけで、投資は3分の2とかに抑えられたのではなかろうか?
そんなタイムショックのシマで毎日一緒になったのが、通称「モンロー」と呼ばれた古くからの打ち手さん。トドみたいな髭を蓄えた巨漢で、雰囲気もたっぷり。
もともと一発台のコーナーに巣くっていたのは知っていたから、メディアプロになってはいても、まだ小僧だった自分は互角にやれるか緊張と期待に溢れていたもんだ。
それで、毎朝邪魔をしないように台選びをしながら様子をうかがうと、なるほど、見えている。パチンコ打ちは足を止める台で相手が何を考えているかはわかるからね。
「うん、その台がアケられたのは俺もわかるよ」
とか
「えっ、なんでその台で悩んでるの?」(技量が良くも悪くも違う)
デジパチとは違うゲージなので、その時期その時期で店も叩くところが違ったのだが、お互いその辺の違和感も了承していたようだ。
「今週はここ変えるようになってますね」とか水を向けると、
「うん、いろんな所を叩いてる」とか、手の内を全部明かさない範囲で答えてくれた。
モンローさんは全然節玉とかしない人だったから、収支は比べるべくもない。
でも、タイムショックのシマに日参している人の中では、唯一自分が認めた人で、それがちょっと嬉しかったなあ。
掛け持ちしてる台で煙草を何時間もどかしてくれないのは、その店の常連の常で参ったけど(笑)。
そのN店が後々ダメになり、隣町のホールでばったり出会った時は羽根モノをやっていたっけ。笑いながら「経営していたテレクラが軌道に乗ったから、もう一発系の台で稼がなくてもよくなったよ」と言っていたのは印象に残っている。
何かを教わったわけじゃないけれど、モンローさんと同じシマで日々釘を見たことは青春の思い出の一つだ。