先日のこと。4月の緊急事態宣言から休業状態が続いていたホールのシマ解体工事を目にすることとなりました。住宅街が広がる地域で大学もある。そんな私鉄沿線の駅にあった唯一のホール。この駅からパチンコ屋が消えることとなったのです。
この先どうなるのかは分かりませんが、閉店自体は珍しいことではないでしょう。特に個人経営など資金力に不安がある中小規模店は、新型コロナウイルスがなくとも苦境に立たされていた状況でして。2021年にかけて大量の廃業ホールが増えると予想されていました。
確かにそういった社会情勢も駄目を押したことでしょう。しかし、このホールは“それ以前の問題”があったように感じています。テレビ番組の「しくじり先生」のようなエピソードがたくさんあるのです(笑)。
成功事例の上辺だけ学んだところで、ホール観察の実力は上がりません。世の中小規模店が同じ過ちをしないためにも、備忘録的に書き記していきたいと思います。
○20年前は悪くない地域だった
今回、閉店したホールをA店とします。私がこの地域を知って、打ちにくるようになったのは1999年頃のこと。しかし、A店ではなく、当時もう1軒あったB店がお目当てでした。
同じくB店も中小規模でしたが、特定の曜日は朝イチに7が揃っていれば高設定の期待度アップといった集客方法をやっており、それを目当てに若者が集うようになっていました。私もその1人。まあ『B-MAX』の示唆台はガセがほぼない代わりに設定3でしたが。なぜか競争率も低いし、それで十分です(笑)。
だんだんと口コミで広がっていき、周辺のスロッターが集まるようになっていきます。しかし、彼らはイベントのみが目当て。通常営業を見にくることはありませんでした。そのうちイベントでも出せないようになって、活気も収まっていきました。
その間、A店は何をやっていたか。おそらく何もしていません(笑)。若者の集うお店が苦手な年配層に支持されていたかと思います。私的には、パチスロはダメで、どちらかというとパチンコのお店でしたね。
○B店の跡地にA店が2号店を出店!
2005年の春頃。一時は隆盛を誇ったB店が閉店します。様子がおかしいと気付いたのは2004年の暮れ。そこまでは閑古鳥がなくほどの状況ではなく、私も新台のデータ取りなどで打つこともありました。
2004年の暮れに何が起こったのか。新紙幣への切替です。新1万円札に対応するコインサンドがいつまで経っても導入されなかったんですね。既に遊技機規則も改正されて5号機となることも決まっていました。ここが辞め時。そう判断したのだろうと想像ができます。B店のオーナーは立ち回りが上手いと思います。
そのB店の跡地もパチンコホールとなりました。なんとビックリ。存在感の薄かったA店が買い取ったのです。おそらく、若者の認知度が低い本店を補うため、若者に場所と存在を知られている店舗を買い取ったのでしょう。そう「しくじり」の歴史のスタートです。ここからは同じ経営となるので、本店と2号店の表記にしますね。
2005年のうちにオープンできていれば、まだ粗利の高い4号機を導入することもできたでしょう。しかし、建物自体を建て替えてしまいました。さらに時間も費用もかかる地下フロアを新設。1階の半分をテナントとして貸して……など安定性を考えるのも分かりますが、この瞬間は何よりもスピードが命でした。ひとまず居抜きでオープンするべきでした。
最後の4 号機が撤去される直前の2007年8月。最悪のタイミングで2号店はオープンします。初期5号機でもマニア的に面白い機種はありましたが、それを厳選して揃えることは不可能な時期。というより、まずその目を持っているとは思えません。グランドオープンのシマを見て、初期5号機好きの私ですら「こりゃイカン」と思いましたもの。
単体としては面白い部分もある機種ですが。『けものっち』と『ミスターマジックネオ』の両方をシマ設置とか、ナシでしょう。中押し好き、スベリ待ち好きの人口はそんなに多くありません。まあ、私は打ちましたけど。これしかまとまった台数を買えなかったんでしょうね。
教訓:ビジネス的にはリスクヘッジも大事。しかし、法改正などで逃してはならないタイミングがあるのがホール経営。
一方この頃の本店は、台の入れ替えが間に合わず、約半数がベニヤ板となっていました。バランス悪すぎ(笑)。本店を潰して新しい建物の2号店に集約するのかと思っていたくらいです。
しかし「しくじり」はまだまだ始まったばかり。書きたいことが膨大にあるので、私にしては珍しいですが、回数を分けさせてくださいませ。
私の近所のパチンコ屋さんは5年前に閉店しマンションが建っています。
残った他のお店も平日は閑古鳥が鳴いています。
パチンコ店経営はたいへんですね。
市場が縮小している中でも大きなお金が動くことに変わりはありませんからね。
後編も楽しみにしております。
私が勤めていたパチ屋もコンテストが世に出るころにグランドオープンし
約3年で閉店しました。地域のスーパーが経営しているような店で
何年か後には時代を物語るような老人施設へと用途を替えておりました。
今から20年も前の話ですがその頃はスロ専店舗も増え業界全体は
盛り上がっていたのでしょうが……
ここパチのようなサイトで昔住んでいた地域を検索してもほぼ撃墜マーク!
生き残っている店を探す方が大変な状況です。福生を中心とした西多摩
育ちの私としては青春を過ごしたホールが壊滅状態で悲しいです。はぁ
でも悠遊道のサイトを通して、安田さんとの再会を果たせたのは
大きな喜びです。
続きを楽しみにしております。
後編が楽しみで楽しみで我慢汁が止まりません
師匠は養分打ちのくせに物語チックなものを書かせるとキチ〇イじみて水を得た魚だからな
余談ですが『けものっち』はおれの名機の一つです
こりゃ中編、後編までありますな(笑)
楽しみにしてます
>オカパチクローバーさん
5年前は、ちょうどパチスロの規制が始まった頃なので、まだ見切りが良いほうかもしれませんね。規制されるような機種ばかりで回さなければならない。既に疲れていたのかもしれませんが(汗)。
>レギュラーマンさん
『獣王』辺りでパチスロが大きく変わった時に撤退。これも賢明でしょう。派手な機種ばかりになると、資本力の差が大きくなってしまいます。4号機初期のパチスロを好きな方がオープンしたんだろうな。でも軌道に乗らず、時代も変わって……妄想してしまいます(汗)。
>田中さん
『けものっち』私も好きで、そのホールでは数少ない回している人間でした(笑)。本当は、こういうホールの話の方が好きなんですよ。イベント営業を回るだけの打ち方では見えない部分ですし。地元のお店に行く普通の人の声を代弁したいというか。
ただ、ホールをかなり見ていないと的を外しますし、読者さん全員が同じ絵を描けないので、規則や機種の話ばかりになってしまいます(汗)。
>匿名さん
鋭いです。ここから2軒潰さないといけませんもんね(笑)。
小生は九州在住ですが、地域差はあるもののホール数は20年前から見事に半減しておりますね…
続編が楽しみです。
>本当は、こういうホールの話の方が好きなんですよ。
うん、師匠の味はその手の書き物のほうが発揮されてるように思えます
もちろん規則や機種の小難しい話も勉強になって読み応えありますが、「腹の底から面白かった!」と酒飲みたくなる記事は決まって物語チックなもの
あんたホントに物書きの才能ある
只のギルド冒険者にしとくの勿体ないわw