パチンコやパチスロ。麻雀やらボートレースなんかもそうなんですが、ギャンブルにおいては知識やテクニックもそうですけど、「運」というのが非常に重要なパラメーターになります。

ただこの「運」というのは意味が広範で、具体的な形というのがありません。なので理解しようにもフワッとしかわからない。持って生まれたものなのか。あるいは後天的に付与されるものなのか。因果律やカオス理論との関係は。

一体、「運」ってなんなのでしょう?

……実はSFの中には「幸運の遺伝子」という考え方があります。これはメガストラクチャ(巨大建造物)モノの超有名作品である『リングワールド』という作品の中で考え出されたアイデアで、それ意向のSF作品にも多大なる影響を与えています。

実際のアイデアとは違いますが、我々地球人に当てはめた場合の考えた方はこうです。

人類の文明が発展していった場合、いずれは優秀な遺伝子を遺すために「エリート同士の結婚」が奨励されるようになります。これはもう現実に起きてることですが、それがずっと続くと、究極的には(意図せぬ)近親交配が繰り返される事になり、遺伝子プールが極端に小さくなっていきます。

有名な例では中世のヨーロッパにある「ハプスブルグ家」がありますが、貴族・王族同士の政略結婚を繰り返した結果、一族が全員めっちゃシャクレるという悲劇を生み出した事で知られています。知らない人はググってみると良いかもしれません。すっごいシャクレたオッサンの絵画がヒットするんで結構びっくりします。

んでまあただシャクレてるだけなら別にいいっちゃいいんですけど(筆者もまあまあシャクレてる)、ハプスブルク家に関しては「短命」という呪いも受ける事になり、そこはちょっと看過できない。

このように遺伝子プールが狭くなるのは形質的にも寿命的にもあんまり良くない事ですし、疫病への耐性なんかも下がります。おなじく科学・文化が発展していった先では、最終的には種としての多様性や可能性を広げる意味で、より広い遺伝子プールを目指す方向にその舵を切るはず。

そうすると究極的には「何処かの機関が遺伝子の交配を管理」するのがもっとも合理的であり、「抽選による完全ランダムな交配」に行き着きます。婚姻関係と遺伝子の交配は、また別の話になるわけですな。

はい、抽選によってランダムで行われる交配。

つまり「抽選にパスしないと交配されない」とも言い換えられます。他のパラメータを一切見ず完全ランダムで行われる抽選ゆえ、ここに介在するのは「抽選にパスするための幸運度」のみ。要するに「運」こそが「遺伝子の強さ」になります。んでそのような体制で世代を経ていくと、何世代も抽選に打ち勝ってきた恐るべき幸運さをもつラッキー遺伝子のみが残るゆえ、SFの世界においては「未来人は幸運の遺伝子を持っており」「めちゃくちゃ幸運である」という設定が生まれました。

ガンダムのニュータイプに近いっすね。あれはビームライフルを避けてるんじゃなくてラッキーにつぐラッキーでたまたま当たってない、と考えると幸運のパラメータが異様に高いとも取れます。『リングワールド』の日本語訳出版は1985年だそうですが、海外での出版は1970年。1981年にガンダムを作った富野由悠季さんが海外のSFを参考にしなかったわけがないので、「未来人が何らかの特殊能力を持っとる」というアイデアはもしかしたらここから少し影響を受けてる可能性もあると思います。

さてこの「幸運の遺伝子」というのは思考実験としても結構面白いです。

他のパラメーターを一切無視して交配を続けた場合、果たして生まれた子は世代を経るに連れどんどん幸運になっていくのでしょうか。もしそうなら、「運」というのは目に見える形質遺伝と同じく、持って生まれた能力なのかもしれない。

んで、ちょっとオカルティックな話ですが、筆者はこれ、あながち嘘ッコでもないと思っております。なんせパチンコやらパチスロでも、明らかに運がいい人と運が悪い人がいますし、麻雀なんかモロだと思います。特にプロの人の勝負を見てるやっぱりテクニックはもちろん、何か「持ってる」感じがありありです。ただのジャンケンでさえ、異様に強い人とかいますし。探したらアミダくじが死ぬほど強い人とかもいるかも知れません。そういえば海外では、生涯に複数回宝くじを当てた人とかもいますね。

筆者はそういうのは一切持っておらず。むしろ就職超氷河期世代に生まれておるのでその時点でめっちゃ運悪いのですけども、なんかそういう「持ってる人」を見ると、「幸運の遺伝子」という単語をどうしても思い出しちゃいます。