はるか昔の話、神奈川県川崎市の溝の口という駅前にエスパスがあった。ボクは当時そこの常連で、早朝から並んでいたボクを指さして、立派な私立の制服に身を包んだ小学生が言った。

「お母さん、アレなあに?」

 その日その時、店頭に並んでいたのはボクだけだったのでボク「ら」ではない。間違いなく「ボク」を指している。いや、おい小僧。アレとはなんだアレとは。これでも生きてる人間だぞ。いや、待てよ……果たして俺は人間なのか……?当時、そんな心の問答を繰り返したわけじゃないが、まぁ思う事は色々とあった。そして、こんな事別に1度や2度の話じゃない。純真な子どもは口に出して言ってしまうけども、パチ屋に並ぶ人の前を通る多くの大人から、侮蔑ともとれる視線を浴びてきた。

 神奈川県の開店は9時。ちょうど社会人の皆様の出勤時間と重なって、足早に職場に向かう人だらけなわけだから、ホールに並んだことのある人間なら皆一度は経験する話だろう。そして、そこに妙な背徳感があるものだから、恥ずかしさや気まずさと同時に得も言われぬ快感もあったりする。何なら「お前ら社畜とは違うフリーダムな人生をこちとら送ってんだ。ざまあみやがれ」的な謎の上から目線を時に持ってしまったりもする。勿論、そんなのは若気の至りなだけなのだが。

 最近、誌面や他のパチンコ系の読み物を見なくなって久しい。だから知っているなら教えて頂きたいくらいなのだが、今のYouTubeやCSの第一線で活躍する演者たちが言う事はあるのだろうか。「パチンコ(パチプロ)なんてやるもんじゃない」と。

 悠遊道の読者の皆様なら当然ご存じかと思われるが、これは故・田山幸憲プロの言葉として有名で、我々は所詮日陰者というのが田山プロの根本にはあった。その矜持に惹かれ、(ご本人は否定するが)同じ空気をまとう安田一彦プロに憧れ、この世界に進んでしまった人間として、今もこの言葉は重く感じている。

 昨今、パチンコ業界は誰に何を言われるでもなく縮小の一途を辿っている。だからか、そんな殊勝な言葉を聞くことなどほとんどない。表舞台に立つ多くの演者・ライターたちが必死でパチンコの良いところをアピールしようと躍起になっているように見えるし、それはメーカーもホールも同じで、如何にクリーンか、公平か、楽しめるか(もしくは勝てるか)をアピールしている。しかし、本来パチンコなんてもんは、文化なんて言えるほど高尚なもんでもなく、世間一般からはかけ離れた価値観が未だ散見される狭小なサブカルチャーでしかない。そこで飯のタネを拾おうなんて人間は、さらに下衆で低俗だ。だから、今回の日曜テーマコラムのお題「パチンコでかいた恥」などというのは、もうそこに関わっている時点で恥だと思っている。そして、そんな自分を受け入れずしてどうしてパチンコと付き合っていけようか、という話だとボクは思っている。

 なぜこんな風に思うように至ったか。それこそ「パチンコでかいた恥」がそう思わせたからだ。

 

 冒頭の若かりし頃のように、まだパチンコと言う世界を本当の意味で知らない、ただの1プレイヤーでしかなかった頃、パチプロという存在はカッコイイものだった。「プロ」と名がつく時点で惹かれる何かがあったし、当時の大手メディアの第一線にいた田山・安田の両巨頭が憧れの存在でなくしてなんなのか。当時パチプロになりたいなんて思う人間の多くは、そんな心境からスタートする事がほとんどではないかと思う。

 そうしてまた、パチプロは同世代の友人よりも稼げてしまうものだから、時に有頂天にもなりがちだ。ただ、そこから先、パチプロは現実を知る事になる。

 パチプロに投げかけられる恐怖の言葉がある。それは

「今、お仕事何されてるんですか?」

 という初対面の人と多くの場合に交わされる他愛もない会話だ。そう他愛もない会話なのだ。相手にとっては。しかし、こちらにとっては一大事だ。さすがにパチプロをそこそこ続けていると、これが真っ当な仕事じゃない事くらい薄々気づく。そこで、その事実から顔を背ける者、受け入れて自分の道と割り切る者、耐えられなくなり辞めていく者等、選ぶ道は様々だが、共通しているのはこの呪いの言葉からは誰もが避けて通れない、という事だ。

 パチンコの世界は狭い。特にパチプロは機械とはよく対話するが、それはあくまで心の中だけの話。後は精々仲の良い、でも相手の素性も本名も知らなかったりする常連さんたちとの会話程度で、とかく社会性が無くなりがちだ。だから「パチプロはどこかで社会と接点をもっておいた方が良い」という安田一彦プロの言葉は正しい。ボク自身、パチプロとして得られたものよりも、安田プロの言葉に従った結果得られた物の方が数多い。しかし、外の世界に出ていこうとする度に、件の呪いの言葉は降りかかってくる。

 これが、美容室での会話とかならまだいい。適当にウソをつけばいい話だから。しかし、外の世界の人と真の繋がりを作るならば職業を偽ることなど出来ないのだ。なぜならウソは必ずどこかに綻びを作るからだ。そんなターニングポイントが人生にはいくつもある。その最たるものが結婚だろう。

 前妻と出会った当時、ボクはパチプロをしていて、彼女もそれを受け入れていた。しかしいい加減結婚という話になった時、明確に「辞めて欲しい」と言われた。親に言えない、と。田山さんがよく言っていた「パチプロなんてなるもんじゃない」「パチプロは結婚しちゃいけない」という言葉の片鱗がその時少しだけ分かった気がした。そして、大した覚悟や信念があってパチプロをしていたわけではないボクは、サラリーマンになった。

 ただ、結果としてそんな結婚生活は長く続かず、その後パチプロに戻った。そしてまた、外の世界に出ようとしては、その度に呪いの言葉に直面した。また、自分の生い立ちを誤魔化せば誤魔化すほど、自分が外の世界の人々と遠ざかってしまう事に気づいてからは、その都度馬鹿正直に答えていた。その結果は「ドン引き」「驚き」「好奇心」「無関心」等々様々だったが、誤魔化さなかったからこそ繋がれた人たちがいる。そして「結局この人らにどう思われようが自分の人生は自分のもの」という自身の根本にも行きついた。そうして、今はパチプロではないものの、パチンコとの接点を持ち続ける人生を送っている。

 かつて憧れた安田プロに誘われて、ボクは悠遊道という場を得られた。だからこの場が消えるその日まで、時にふざけて、時に真面目に何かを書き続けることはボクの責務だと考えているが、実はそれも一つの大きな「恥」だ。でもそれが、パチンコで生きるという事だと今は理解している。だからパチプロは勿論、パチンコに関わるあらゆる仕事に対して、ボクは今後もずっと「やめとけ」と言い続けるだろう。それでも好き好んでこっちに来てしまった人とだけ「仕方ねえな」と笑い合う。それで良いのだ。

 パチンコはギャンブルだから、どこまでいっても蔑まれる立場な事に変わりはない。そんな世界だという事を分かった上で、それでも自分はその中で恥をかいていけるのか。パチンコに関わるという事は、きっとそういう事だし、そのくらいで丁度いい。


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 
  • 累計15年間パチプロを経験
  • CR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上した事を機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。
  • 現在は悠遊道動画チャンネルの何でも屋

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