浅草でずっと世話になっていた某ホールがあって、それが一昨年くらいかな。閉店の憂き目にあった。このホールに関してはあらゆる所で書いてるんで今更詳細を語ることはしないけど、一言でいうと「全然出ねぇ」ホールであった。ただ居心地がスーパー銭湯並に良かった上に家から一番近かったので足繁く通っていた感じだ。

かのホールの散り際に関しては「マルハン浅草出店計画」の存在をまず詳らかにせねばならない。浅草にはビートたけしがエレベーターボーイ時代に在籍していた「東洋館」を擁する六区ストリートというのがあり、そこはネットフリックスの大人気映画である「浅草キッド」の舞台になってるのでも有名だが、とにかくその辺りは過去ジャパンで一番の歓楽街であり文化の中心地であった、とかいう本当か誇張かよく分からんが、そういう話がある。んで最近はぶっちゃけそうでもない。

 

で、偉い人が「いやいや六区の底力はそんなもんじゃねぇからもうちょいアレしようぜ」と頑張った結果、官民一体で推し進める「六区再生プロジェクト」なるものがブチ上がった次第。これは10年ほど前の話だ。

 

んでそのプロジェクトの中核を成していたのが、六区の端っこにある割と広めの面積の空き地。ここに「マルハンタワー」なるデカいエンターテインメントビルをぶち建てるぜ! というものでして。まあ名前の通りデカいホールが出来ることになっておったのです。

 

ちなみにその話はいつしか頓挫。一説によると掘り返した空き地の地面の下から「遺跡が出てきた」とかそういう話もあったんだけども実際の所は良くわからず。ただパチンコファンである俺にとって「家のメチャ近所にデカいマルハンが出来る」というのは垂涎モノの状況だったゆえ出来上がりをすげえ楽しみにしておったのだけど、とにかく何らかの理由により、結局出来上がったのはビューホテルの別館であった。

 

さて、問題は俺が当時足繁く通っていた件のマイホだ。

 

なんとそこは「マルハン予定地」の目の前。道路を挟んで向かい側であった。ただでさえぺんぺん草一本生えぬ、閑古鳥が大合唱せんばかりの勢いでガナりたてる不毛ホールである。マルハン出来たら即死だ。実際、「六区プロジェクト」の起動と前後して、浅草からは古いホールが一斉に消えてしまった。あの店も、この店も、そしてあの店も。忘却の海に消えていったのだ。が、一番死にそうだったかのホールはなぜか「営業を続行する」ことに決めた。

 

これは凄い決断だった。そしていつしか浅草のスロッターの間では、こんな噂がまことしやかに囁かれるようになった。

 

「あの店は、マルハンが出来た日に閉めるらしいぜ」と。

 

そして偶然というのは時折粋な符合をみせるもので、マルハンが来ない、となったあと、その予定地に5年ばかりしてオープンしたビューホテル別館のオープン日。その日にあわせて、かのホールは本当に閉店してしまった。噂は、多少の違いはあれど、本当のことだったのである。

 

この姿はほんとうに美しかった。格好良くさえあった。

 

そしてコロナ禍突入。この2年は浅草から観光客の姿が消え、随分寂しい気がしたものだが、その寂寥感も結局8割くらいは、六区ストリートの端っこで佇む、電飾もサイネージも、看板も何もかもが撤去されてしまった、あの元マイホの無残な骸が醸成していたように思う。浅草から、パチンコが消えてしまった。もちろんまだ他に店はあるんだけど、少なくとも俺の中では、とても大切なマイホが消えた痛みというのは、コロナの始めから今までずっとあった。

 

だがしかし! だ。

 

なんと本日、3月10日。その元マイホが、復活したのだ。残念ながらパチ屋じゃない。スーパーである。先程俺も行ってきたけど、入り口から入ってすぐの所にあった1パチコーナーは惣菜売り場になっていたし、海物語の島は野菜売り場になっていた。吐くほど通い続けた、地下のパチスロコーナーはなんと室内ゴルフ場に。景品カウンターは、肉売り場に。どこもかしこも人、人、人。オープン初日の活況は、なんだか胸が熱くなるようだった。この1/10でもお客がいれば、きっとあの店が潰れることはなかったんだろう。ちょっと悔しくもあったけど、でも、それでいいとおもう。

 

なんせこの店は、ピザが旨いらしいのだからね。

 

真面目な話、ホールの廃業が相次いでいる。パチ屋は独特の構造をしている場合が多く、たいていの場合は潰しが効かないらしい。だので往々にして建物ごとうっちゃられて別のものに転生することになるのだけど、そう考えると、建物をそのまま活かして作られたこのスーパーは、設置機種の場所を覚えてるうちはどうでもいいような感傷に浸れる分、だいぶ幸せな結末なんじゃないかなぁと思う。

 

元サンシャイン浅草店よ。ハッピーバースデーだぜ。今後ともよろしく。