実は今月中旬に夫婦揃って発熱した。しばらく寝込んだが、自宅に常備している抗原検査キットでは陽性反応は出なかった。とはいえ時世が時世なのでしばらく取材等には一切いけず。しかし病院でしっかりと陰性の証明をもらおうにも、折しも東京都で爆発的に感染者が増える兆候が見え始めた時だけあってどこの病院も予約制になっていた上、その予約自体も数日待ちとかになっていた。仕事したいのに出来ない状態である。ようやっと陰性が出たのがこれを書いてる数日前。いよいよ日常に戻った。今風邪引くとほんとに大変なので、みなさん気をつけた方がいい。

で、陰性証明をゲットして、筆者が一番最初に行ったのがパチスロであった。とっくに熱は下がってるし、数日間ずっと安静にしておったのでむしろ平時より体調は良い。その時点で発熱から充分な時間が過ぎてたこともあり、自主的な隔離期間は終了だ。繰り返すが陰性である。コロナじゃない。最低限の礼儀としてマスクを二重にしてホールへ向かい、手首まで手指消毒していざ、入店である。

久々の(といっても10日くらいだけど)パチスロはすこぶる面白かった。少々出来過ぎの展開なれど、あっというまに2千枚ほどの出玉を積んだ。「体調崩してから復活したあとは何か知らんが出る」というオカルトそのまんまの勝負だった。連チャンが途切れ、さあ続行するか辞めるか。立ち回りの選択がてら命の洗濯だ。喫煙である。行きつけのホールの、恐らくは台東区イチ広い喫煙所に向かいタバコを咥える。紫煙を吐き出しながら、ガラスの向こうの鉄火場を眺める。どうやら6.5号機は好調らしく、すこしだけパチスロコーナーに人が戻ってきている気がした。ふむ。ふぅ。煙を吐いては吸い、吐いては吸い。そうしてるうちに、視界の隅にちらりと、看過できない何かが仄見えた。意識の表面でそれを察知した後、正体を知る前に視線を逸し。もう一度肺腑の奥底からニコチンを吐き出してから、視線を戻す。男だ。白髪交じりの男が立っている。茫洋と虚空を睨みながら煙草を咥えている。視線を落とす。不思議なことに、筆者の中にその上着についての印象はひとつも残っていない。下半身が強烈過ぎたからだ。

男は白い半ズボンを履いていた。ただの半ズボンならいい。否、そのもの自体は単なる半ズボンであった。が、その履き方がただならぬのもであった。つまり、一度履いた半ズボンを、グッとしゃくりあげ、へその上の、乳首の数センチ先程度まで、ぴちぴちに上げに上げに上げて、腹巻きの位置くらいまでしゃくったのちにベルトで固定していたのである。しかるにベルト部分はひさごの如くくびれ、砂時計さながらになっていたし、また抜き差しならないことに、男の股の部分。男子の本体たる部分が、張り詰めたズボンの股のしつらえに負けて、カパッと2つに割れ、深い溝のようになっていたのである。

(キャメル・トーだ)

筆者は思った。キャメル・トーだと。しばらくその親父の股の部分のスジ……いうなればあってはならない筈のチンスジを眺めながら煙を吸い、そして吐いた。ニコチン補給を先に終えたオヤジがスタンド式灰皿でもって煙草をもみ消したのち、筆者の前を悠然と通り過ぎていく。過ぎ去った後後ろ姿を見ると、チンスジの裏っかわの尻の部分は、さながらハイレグみたいになっていた。無表情にそれを見送る筆者。喫煙所の扉を開き、そうして去ってゆくオヤジ。ガラスの向こうに広がるパチスロの島々の中で、オヤジが「リング 運命の秒刻」に着座したのが見えた。筆者はいちど大きく頷いて、それから自分の煙草をもみ消し、ちょっと考えてもう一本だけ火を付けた。

……誰だって、忘れたい過去がある。

筆者が青春時代を過ごした佐世保という街は、アメリカ海軍の基地があった。しかるに街の経済……とくに飲食に関しては、米軍の船の入港具合によって左右される。大型の戦艦などが入港した際は、長き船上生活に飽いた米兵たちがつかの間の休息とばかりに街へ繰り出しあるだけのビールをかっくらっては騒ぎ倒すにつけ、さながら「特需」になっていたのである。筆者も若い頃はそういう「特需狙いの外人向けバー」でバイトをしていたことがある。このあたりは村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の描写が、結構そのままだったりする。あれは福生を舞台にしてると見せかけて、中身は佐世保である。というか龍は佐世保出身だし、恐らくはそういう「特需狙いのバー」で働いた経験のある、筆者の先輩なのだろう。

アメリカ海軍の、特に遠洋にて駐屯するような兵士は、基本的にあまり賢くない。こっちでいう中卒か、それよりも下くらいの学歴の人が大半である。これは別に差別でもなんでもなく、少なくとも当時、彼等が自分で言ってた事である。真逆に基地に勤務する非軍人──いわゆるシビリアンの人々──は非常に学歴が高い。バーには両方の人が来ていたが、話して面白かったのは圧倒的に米兵の方だった。下らないスラングを教えて貰って、お礼にばかみたいな日本語を教える。そうして友好関係を築いていって、酒を飲ませたり飲んだり。そういう店だった。

もう二十年以上前だろうか。その外人向けバーで働いている時分、3人の米兵相手に拙い英語で接客しているタイミングでこんな事があった。米兵たちがクソみたいな下ネタで盛り上がってる最中である。シビリアンの二人連れが入ってきた。米兵とシビリアンは同じ場所で働いているけど、見た目が全く違うのですぐ分かる。これをお読みの方だって、一度こっちが米兵でこっちがシビリアンだと指さしてレクチャーすれば、きっとすぐに分かるようになるだろう。シビリアンに階級があるのかどうか知らない。どっちが上とか下とかは無いと思う。ただ住む世界が違った。シビリアンの二人組は恐らく恋人同士で、互いに金髪の白人だった。しばらくテーブル席でビールを飲んだあと、オールディーズの良くわからない曲にあわせて、チークダンスを踊り始めたのだった。

無言で酒を飲む米兵。酒を手配する筆者。やがてシビリアンの二人はいいムードで店を出た。カランカラン。とドアベルの音がなってしばらくして、米兵3人が弾けるように笑い始めた。爆笑だった。彼等は口々にこんな事を言う。

「ワーオ。おお神よ! あの娘すげーキャメル・トーだったぜ」

キャメル・トー。キャメル・トー。口々に言いながら爆笑する外人。その娘は白いスパッツを履いていて、サイズが会っていないのかそのふくよかな下半身のラインがバッチリ出ていた。まあ外人飲み屋街ではよく見る感じのパツパツ体型だったので筆者は気にも止めなかったけど、そのパツパツ具合が長き禁欲生活を余儀なくされ、そこから解放されたばかりの軍人には笑えるものがあったらしい。追加のビールの栓を抜きながら、訊ねた。

「ねぇ、キャメル・トーってどういう意味なの?」

弾けたように笑う外人3名。一人の男が立ち上がり、自分のカーゴパンツのベルトをつかむと、それをへその上までグッと上げた。そうして股間を指差し「キャメル・トー!」と叫ぶ。筆者が首を傾げると、3人のうち比較的冷静な一人が説明する。キャメルの蹄は2つに割れてるだろ? それがパンツを上げすぎて股の部分が食い込んでるとこにそっくり一緒だから、キャメル・トーっていうんだよ。なるほど。すっかり理解した。筆者はカウンターのこっちに立っているけど、その時はやたらスキニーパンツにハマっており、その時履いていたのはヘビ柄パツパツのスキニーであった。笑いをかみ殺す。彼等に見つからないようにグッとベルトをあげて、掃除するフリをしてカウンターから出た。ベロンベンロに酔っ払ってるひとりの肩を叩き、キンタマも潰れよと言わんばかりに思いっきりしゃくりあげたズボンに出来た、自らの見事なチンスジを指差し叫ぶ。

「ヘイ! キャメル・トー!」
「……オーマイゴッド!」

3人はゲロ吐くくらい笑った。彼等はその日死ぬほどビールを飲んでくれたので、ペイ・パー・ドリンク方式で給料を貰ってた筆者の懐もだいぶ潤った。その日から筆者はなるべくパツパツのパンツを履くようにし、話題がなくなったらとりあえずこっそりチンスジを作ってカウンターをでて「キャメル・トー!」と叫ぶようになった。毎度毎度死ぬほどウケた。筆者の店でのあだ名はいつしか「キャメル・トー」になった。

フゥ。煙を吐いて、煙草をもみ消す。

誰もいない喫煙所。筆者はちょっとだけ周りをみて、それから自分のカーゴ・パンツのベルトの部分を、ちょっとだけ上に上げてみた。キリリと、キンタマが痛んだ気がした。