じゃんけん、ポン。
あいこで、しょ。
あいこで、しょ。

まだインターネットもスマホもなかった子ども時分、世界はいまよりずっと狭かった代わりに、アイデアと関係性に満ちていた。なにもないならないなりに、暇を持て余した同士で丸くなって、いくらでも、なんでも出来たものだ。ボールやトランプがあれば上等も上等。無くても最悪、てのひらだけあればいくらでも遊べた。誰かが土の上につま先で書いた、丸い輪っかの飛び石の前で、じゃんけんぽん。ぐみ、ちょこれーと、ぱいなっぷる。誰がさいしょにゴールするかで、いまよりよっぽど遊べたもんである。

「えー、どうしよう」
「いいじゃん。ねー。ね? ちょっとだけ」
「んー? ほんとにぃ?」
「ね? 眠いからさ」
「眠いって。アハハ」

43になった俺の家の目の前にはラブホテルがある。もとより引っ越しが好きなたちで極まってる時は年イチくらいで越しまくってたのだけども、まあ長く住むつもりもないし家賃なんか安ければ安いだけ良いので、思い返せば隣がラブホテルであるとか、真裏がラブホテルであるとか、そういう土地に住みがちだ。目的は生活環境を変えることだけなので、別に構わない。うらぶれた安いモーテルが立ち並ぶ川沿いの土地を背に、出窓をあけると同じ目線の高さの電線にみっしり椋鳥が並ぶ。そういう環境は嫌いじゃないし、物書きをする上では面白いネタに溢れてるので構わない。ただ、今の住処の間近にラブホテルがあるのは本当にたまたまで、狙ったわけでもなんでもなく。そう考えると、単にそういう環境に縁があるんだなと思った。ラブホテルが目のど真ん前にあることで食らう被害もなにもない。ただそういう建物があって、空気の入れ替えがてら窓をあけると、上記のような言葉が聞こえてくるだけだ。

「うーん。入ろう?」
「どうしようかなァ」
「いいじゃん、ね?」

無心でキーボードを叩く。膝の上の猫をどかして、背伸びがてら立ち上がった。見るともなしにベランダの向こうに目を向ける。ちょっとだけ身を乗り出すと、田舎から観光に来たんだろうか、大学生くらいのカップルが見えた。

「じゃあさ。じゃんけんしよう」
「いいよ? じゃんけん……」
「ぽん」
「あ、わたしの勝ち。ええと……」
「じゃあほら、あっちに向かって……チヨコレート」
「知ってる! それ! 懐かしい」

女がラブホテルの方に、チヨコレート。男はアハハと笑った。文字の数だけ開いた間隔。じゃんけん、ポン。どうやら男が勝ったらしい。

「よし、勝った。じゃー……ぐ、ん、か、ん!」
「えー、なに軍艦って。ぐみでしょ!」
「いやー、うちの地元では軍艦だったんだよ」
「ずーるーいー!」
「アハハ!」
「うふふ!」

(グリコだろ……)

この時点で筆者は激怒していた。とっとと入れよラブホ。俺はもう最速で今書いてるこの仕事終わらせたとっととパチンコに行きたいんだよ。折しも本日は「からくりサーカス」の導入日である。原作がめっちゃ好きな筆者はこの日を楽しみにしていたのだけども、いわゆる「お盆進行」というやつで缶詰になっておるのだ。そこでやれラブホに入るのにグミだのチョコレートだの言っとるクソカップルがいた日には、何か知らんが感じたことのない憎悪がもりもりと湧いてきてしまい、洗面所で5回くらいタンを吐いた次第。

(イカンイカン。宇宙のことを考えて仕事しよう……)

コーヒーをのみつつ、改めて膝上に猫を乗せて書く。書く。書く。やがてまた、外からこんな声がした。

「えーもー!このままだったら中入っちゃうじゃん!もー!」
「いいからいいから、いくよ、じゃんけん……」
「ポン!」
「よっしゃ、今度はぼくの勝ちだね。いくぞー、パ、リ!」

(……パリ?)

固まる筆者。お前のパーどうなっとん。地元どこやねんと思った。というかパリと軍艦って、チョキは何になるんだ。だいたい、そのゲームどうやらふたりともラブホに向かってるっぽいけど、ルールどうなっとん。女は一応嫌がってるテイなんだから逆方向すすまんと、最終的に向かう道はいっこやんけ。てか男は先に入場するのを狙ってる流れなんだからなんで二文字にしたんや。パイナツプルでもうゴールすんじゃないのかそれ。なんでパリ持ち出した?

「もー!ずーるーいー!もー!」
「いくよー? じゃんけん……ポン!」
「勝った!アハハ!あ、勝っちゃ駄目なんだ!だめもうついちゃう!」
「ほら、はやく……!」
「じゃあ……チヨコレート……!」

女の方のチョキはどうでもええねん。男のちょきがもっそい気になる。ワンモア! ワンモア! という思いも虚しく、そのまま静かになったところを見ると、何だかんだ仲良くホテルにインしたようだった。軍艦……パリ……。腹立つことに思考がそっちに完全に上書きされてしまった。ムカついてGoogleで検索してみる。どうやら地域によって色んな特殊ルールがあるらしいが、ついぞグーを軍艦、パーをパリでやる地域は発見できず。気づいたらイチ時間くらい調べ物をしておった。

気づけばもう夕刻に近い時間。きっとこの業界のライターの中でも上位の原作ファンであるであろうという自負があるにも関わらず、「からくりサーカス」初日は筐体を見ることも叶わず。未だに思うのは、男のチョキはいったい何だったんだろう。ということだけ。