ここ悠遊道までご覧いただいている方々は、私が健康回復のために散歩を続けているのをご存知かと思います。ええ、無事に続いております。かれこれ10ヶ月以上、総歩数は400万歩ほどになっております。
夏場は汗だく過ぎて、散歩中に入店するのを遠慮することもありますが、基本的に昔の記憶をたどりつつホールの様子を見に行っています。まあ、行ってみたものの記憶が古すぎて閉店していることも多々あるのですが(苦笑)。
その閉店しているホールの跡地を見て、コンビニとドラッグストアばかりだな……そう感じることが多いのです。実際、そうなのでしょうか? すべてを把握しているわけではないので、ここって昔はパチンコ屋? という便利なサイトで調べてみました。で、その後の紆余曲折を知っているところは補完する。そんな具合です。
調べたのは、私の散歩コースでもある世田谷区と杉並区。東京でも住宅街にあたります。新宿や渋谷といった繁華街ですと、人を集めるのではなく、人が集まるからこそ成り立つ業種となってしまいがちですし、流行り廃りなどに影響されすぎてしまいます。それはまたの機会といたしましょう。
▲左(1枚目・北側):杉並区 右(2枚目・南側):世田谷区
東京に詳しい方でないと分からないかな。東京23区の西側に上下並んで位置しています。この辺りは住宅街ですが、車社会ではなく電車が発達しているんですね。なので駐車場はナッシング。駅前の商店街に中小規模のパチンコ屋があるケースばかりです。パチンコ・パチスロを合わせて400台だと大きいほうでしょうか。
閉店後の跡地の活用方法って気になるんですよね。”夏草や兵どもが夢の跡”というノスタルジックな気分もなくはないですけど。それ以前に駅前の立地のまとまった面積の居抜き物件が出るのは珍しいんですよ。再開発とかで街ごと作り替えるようなケースは多いですけど。なので、さまざまな業種がその建物を狙うことになります。元はパチンコ屋ですしね、入居できない業種はそうそうないでしょう。
○世田谷区と杉並区のホール跡地
かつてパチンコ屋であった場所は、全部で165軒。そのうち統合された店舗も含めて、今日まで営業を続けているのは42軒(統合された店舗6軒を含む)。25%程度しか残っていません。全体の75%は閉店しているわけです。それに建物が残っているかの割合を示したのが次の表。
パチンコ屋だった時代の建物が残っているのは約半数。住宅街という土地柄、建て替えの多くはマンションでした。ん~駅近物件。ということで、建物が残存して居抜き物件となっている87軒を調べてみたらこのような結果になりました。
コンビニ・スーパー:14軒(16.1%)
ドラッグストア:11軒(12.6%)
数多ある活用方法の中で少ないわけではないものの、多いとはいえない微妙な結果となりました。いや、向いていると思うんですけどねえ。売り場面積も確保できますし、立地もそれなりに良いところばかり。もうちょい多いようなイメージですけどね。ファミリーマートなんてイートインのスペースもありますし。まあ、実際にコンビニならファミリーマートになったところが多いのですが。では、何の業種が多いのでしょう。
居酒屋など飲食:21軒(24.1%)
現在空き店舗:12軒(13.8%)
多いのは圧倒的に飲食。確かに居酒屋などにもってこいです。また空き店舗のまま借主が見つからないケース(休業扱いのまま放置しているかも!?)もそれなりに軒数がありました。“帯に短し襷に長し”ではないですが、スーパーやコンビニ、居酒屋さんが出店しにくい場所ですと、その広さを持て余してしまうようです。
あと意外に少なかったのがゲームセンター。同じ風営法の管轄ですので、業態移行としてはありそうに思えましたが、そもそもゲームセンターも苦境に立たされているからか、世田谷区の1軒しか確認されませんでした。私にとって残念なことに、スロゲーセンではありませんでした。
その他:27軒(31.0%)
そのゲームセンターも含め、分類し切れない・分類するには店舗数が少ない“その他”が、約1/3を占めることとなりました。変わり種としては、銭湯ですかね。なんか温泉らしいです。今度散歩の汗を流しに行ってみよう(笑)。他には、立て替えせずにマンションという強者も。超小型店だったとしても、それなりにリビングが広そう。こちらも超小型店だったのかしら。こけし屋というものもありました。
2000年以降のパチンコ屋さんは比較的分かりにくくなりましたが、1990年代からあるホールは、入り口近くに螺旋階段があることが多かったですね。あとは正面から見た時にガラスの面積が大きいとか。そこで打ったとかの記憶がなくても、ここはパチンコ屋だったのかなと思うような建物もあります。そういう建物を見つけるとついつい調べてしまうのです。過去に一番ビックリしたのは墓石屋さんになっていたところかな(笑)。
ホールの跡地もなかなか興味深い
地元ホールは1件ほどでかいところあったんですが
当の昔平成時代に閉店と相成り 飲み屋が入るビルになってしまった
面影が特殊景品の交換所のみが倉庫になって折ひっそりとその面影が何とか残ってるという
その店もなんかやっとんな?
と言う感じの店でいずれ潰れるだろうとは思っていたんですがやはりという感じでした
思い出はけどありますねえ
小さな私の街でも、なくなったパチンコ屋はたくさん有ります。大部分が経営不振が原因であると思われますが、その中で2軒、所謂天災によって閉店を余儀なくされた店がありました。大雨によって川があふれ、溢れた地点の近くに建っていたその2軒には水が入り、再建を断念したものでした。うち1軒はよく通った店だったので少し残念な思いがしたものです(断念で残念?いやいやシャレにならない💦)。もっとも個人経営の両店は、洪水が無かったり、頑張って再建してもやがて店を閉ざざるをえなかったであろう事は想像に難くないその後の情勢です。むしろ閉店の良いキッカケだったのかも知れない、保険その他もあっただろうしと思っています。
ちなみに両店の跡地ですが、これがパッと思い浮かばない、時々その前を通ったりするのですが、印象が無いのです。おそらく片方は中古車センターの敷地の一部に、もう片方は建物ごとそのままかサラ地になっていたような…。
当方、赤羽に住んでおりますが平成元年時で14軒、今現在6軒です
小型ターミナル駅という事もあり、この程度で済んでいるという感じでしょうが
P店は保険屋・居酒屋、建て替え、ドラッグストア・話題の紳士服店等あまり一貫性はないですが
それに伴い減少したTUCは元の面積が狭いのもあり、ほとんど飲食店になりました。
堂々と大通りに面して営業していたTUCだけは駐車場になりました。
興味深いテーマでしたので、私の田舎町について閉店した15店舗について調べてみました。
廃墟状態:3店舗(うち2店舗は今年閉店) 倉庫転用:2店舗 葬儀屋:2店舗
以下、各1店舗 ホテル、居酒屋、電気店、老人ホーム、中古車販売、理髪店、駐車場
道路拡張による閉店:1店舗
法人が変わって存続もありますが、これは別としてこんな感じでした。
師匠、おばんです
あの汗だく散歩がこのような数値の血肉だと思うと…御苦労様です🙇
冗談はさておき、それこそここパチさんでなかなか行けない故郷のその後を段階的に見てきましたが…残念な感じ🤔タンポポで新たな注目を浴びる事になった我が福生もホール生存率2/13という悲しき状況です💦
先日、自分が働いていた地元のスーパーが経営していたパチ屋跡地は時代を物語るかな「老人福祉施設」に変貌しておりましたとさ、その上でタンポポは貴重な存在です👍