今回のテーマは私が提案させていただいたものです。パチンコをしていて当たって嬉しい、ハマった後の激アツ演出がハズれて悔しい、はもう日常ですね。見た目は平静を装うもその実、頭の中ではめっちゃ喜怒哀楽してます(笑)。それ以上に感情が揺さぶられた話は直ぐに3つほど思い浮かびました。
で、そのうちの1つ(他はまたの機会に)を書きます。時は1980年代。当時、玩具売り場の仕事が鬼のように忙しく、このストレスのはけ口として幼馴染みの友人Y君と会ってグチを聞いてもらう、ことをしていました。
Y君とは同じ5組となった小学1年生からの友人。中学の時も同じテニス部だったのですが、それぞれ違う高校へ進学し一時期疎遠に。体育会系の男子高校を卒業して社会人になったY君へ、大学へ進学し時間に余裕ができた私が連絡を取り、再度交友を深めることになりました。
特にバイクが趣味だったY君と一緒にツーリングをすることが多かったのですが、彼の峠を攻める走りに何度か怖い思いも。彼のバイクのステップは車体をかなりネカセるので擦り減っていました。いわゆる火花散るステップガリガリ走法です。鈴鹿8耐へも2度観に行きましたね。
共にパチンコをすることもありました。めちゃくちゃ綺麗好きなY君は、中古のパチンコ台を購入後、釘を全て抜いてピカピカにして再度装着し、新台と変わらない状態にしていました。持ってたバイクがどれだけ綺麗だったか、も想像できるかと思います。
彼の中古車に乗せてもらってガソリンスタンドへ行くと、「これ新車?」とよく言われたものでしたね。
1985年当時、回転体付きの権利物「テンプター」という個人的に攻略打法を見出して、仕事帰りもこればかり追っかけるスタイルも2年目に入っていました。攻略打法を伝授しても自分には合わない、とこれを打たなかったY君でしたが、私が打ってるお店へよく来てくれて、打ち止め後にちょっと会話したりすることもたびたびありました。そう、赤白黒3色のツナギで決めた、近所の子供からは「仮面ライダーみたいや!」と言われてたスタイルで。
そしてその日、今日は来るパターンの日なのにパチンコ店へ来なかったY君。まあ、こんなこともあるだろうと別段何も思わすに、打ち止めできたのかどうかは?ですが帰宅。
後日、Y君のお母さんから電話が。「Y君が交通事故を起こして入院した」との話に驚いた私。聞けば、私に会いにバイクで向かってる最中、車とぶつかって30メートルも飛ばされ足を複雑骨折した、そう。
私に合うために飛ばしてた光景が過りました。もしツナギを着ていなければ足切断となったらしい、とも。
もちろん、その後は仕事帰りに入院してるY君のお見舞いを続けましたが、初期の頃の苦しそうな様子は今も思い浮かべます。やがて、暗いロビーで長々と会話をすることができるように、そして結局退院するのに1年もかかりました。
その後、なんとか歩けるようになり唯一ブラボーキングダムの攻略打法だけは実行したY君でしたが、足のハンデがあって椅子の形状によって長く座れないゆえ、行けないお店も。それは37年経った今も同様で、時々1パチを打つも回らん、とのグチを聞く事は今でも続いています。時々足が痛んで長くは打てない、とも。
もともと運動神経抜群(高校時代はバレーボール部でした)にして男前だったY君に、20代の頃、職場のおとなしく真面目な女性を紹介したことがありました。私の部下だったこの女性は、私が休みの日に一人残業していたのを上司も警備員も見逃して施錠され、5階建ての店内に一人取り残されるという事件があったりしましたね。彼が都合が悪くなり会う事は敵わなかったですが、もし会っていれば未だ彼が独身、なんてことはなかった、のかもしれません・・・。
ちなみに、フォトはこの頃に乗ってた赤いスポーツカー(に似たヤツ)。で、学んだことは目立つ車でパチ屋へ行ってはいけない(何度かキズ付けられた)・・・。
社会人になってからの友人はほぼいませんが
幼なじみの友人達とは今でも仲良くしてます。
なんでかな
ナムさん、コメントありがとうございます。
幼なじみの友人と長くお付き合いできていたら、いいですね。
大抵は卒業を契機に疎遠になってしまうことが多いですし。
社会人になるとどうしても利害関係や世間体なんかが邪魔をして、親友って間柄にはなりにくいですよね。
大学までに知り合った人達とは、そうしたしがらみもなく、人間味だけで仲良くなれるから「親友」と呼び合える仲になりやすい……。だから学校は大切!このことを、沖縄の少○革命家(自称)に声を大にして伝えたいところでありますw
きっとじゃじゃさんよりだいぶ(いや若干?w)若いであろう私には、既に石の下(鬼籍)の親友がおります。
随分長く伏せっていたので、知らせが来たときには感情が揺さぶられることもなく「そうか……。ご苦労さん!」という気持ちが大きかったです。
彼が好きだったラムネ(これが最近、中々売ってない!)を買えた盆には、彼の墓に手を合わせに行ってます。線香と花を携えて。
ラムネ玉 カランと友の 墓参り
そんな俳句が、ふと出てきたのは、何年前だったかなぁ……。
ところで私がイチバン感情を揺さぶられたのは、以前にコメントさせていただいた、源爺さんの床上浸水事件ですかねーww
禅寺丸さん、コメントありがとうございます。
確かに、社会人になって知人は増えますが、友人になるにはなかなか、かもしれませんね。
ラムネ玉の俳句、いいですね。夏の日差しを感じる光景が目に浮かびます。
コメント頂いた、床上浸水事件は思い出深い一幕でした。
古い友人が実質的には一人も居ないなと実家に帰って両親と話していてよく感じます。
元来のめんどくさがり屋なんで、なんというかズケズケと来る人がいないと今後もないだろうなーと思います。
パチ系で揺さぶられたのは知り合いになった大学の先輩がパチで金がなくなって友人宅等に泥棒に入って警察に捕まったと聞いたときですかね。
ローカル新聞にも小さく載ってましたので色んな衝撃が走ったのを覚えています。基本的に悪い人という感じはなかったので余計にですね。
じゃじゃさん、こんにちは
パチ仲間とのあれこれ思い出沢山ありますが、心に残っている一言は「○○、何か別人のようだ」に尽きる
10代後半の頃、無駄にある時間をスロ・飲み・麻雀と毎週末…無限ループのように悪友たちと繰り返していた
ほとんど勝っていませんでしたが、凄く楽しい時間を過ごした記憶…それから2~3年後、就職組メンバーと学生という衣を纏ったセミスロプロの自分🤔
パチバイトもやりながら勝ち組に回っていた自分は旧友たちと久しぶりにホールに入るのに昔のように遊戯台に飛び付けなかった🥺それはもう勝ちの理論を知ってしまったから💦その私の雰囲気を感じ旧友に言われた一言が上記のものであり、少しもの悲しかった記憶です😑
エンジョイ派に戻った現在、そんな仲間たちと20数年振りに卓を交え楽しむためにパチ屋へ行ってみたいと感じました❗️
>白いシローさん、コメントありがとうございます。
お書きの揺さぶられた話は最悪ですね。それで思い出しましたが、競馬競輪好きの会社の同僚が、競輪は元金があれば絶対に勝てる、と豪語していて、会社の金を累計数千万持ち出し(出納主任だったので)て横領事件としてTVにまで出た、ことがありました。
>レギュラーマンさん、コメントおよびツイッターにも取り上げていただき、ありがとうございます。
なるほど、遊びのパチの和気あいあい感と、勝ちに行くパチのシビア感の違いを悟られたわけですね。
そして今、エンジョイ派に戻られた、いいですね。私も連れパチは実に多くの方々と行ってきましたが、楽しい思い出ばかりです。