30代の頃、世間はまだ狭いながらも、「こいつには何をやっても敵わないわ」と思った人がいる。過去に誌面で何度か書いた、通称「先生」というお医者さんだ。
自分がジグマっていた店にある日フラッと現れて、声を掛けてもらって仲良くなった。あっ、こういうのは突然挨拶というパターンはなくて、たいていが何度か同じ店で打ちながら互いに顔を覚え、マナーや打ち方を理解し合ってからになるんだな。
聞けば、地元がこちらで大学病院の勤務が暇になった時に、そのホールへ遊びに来ていたとのことだった。
まあ、頭がいいというのはパチンコでも活きるもんで、確かに上手かった。いつも的確に良い台に座るし、フラっと来なくなったと思えば、「○店の花満開が千円40回だったんで、一週間で100万勝って来ました」とかね。
感謝を忘れられないのは、当時の2回ループ機の計算を教わったこと。自分なんてバカな上に数学は高2でやって以来。中学レベルの方程式すら忘れていたもの。
あの頃に誌面で数式を載せていたのは石橋達也さんくらいで(後で聞いたら、他の人は言わない方が得と思っていた方が多かったらしい)、先生に石橋さんが載せた式の解説をしてもらい、自分もやっと理解したのでした。あっ、もちろん以後も「石橋さん風に数式を立てると~」と、自分は必ず注を入れましたよ。それが先人に対しての礼儀だから。
そんな先生にも笑える話が…。小さな頃から優秀で小学校から私立の有名校に電車で通っていたらしく、「野球部では都の選抜選手だったんですよ」と言いながら、ホールの帰りに自分の自転車に乗らせてみたら、見事に乗れない。「おいおい、それは逆に珍しいよ」と大笑いしたら、次に地元へ帰ってきた時には家の自転車で颯爽とホールへ登場。
悔しかったんだろうなぁ。必死に練習する姿を想像して、また笑いをこらえる自分がいたりして。
その先生とも「大学病院での出世は諦めました」的な理由を話してくれて(本当にドラマのようなドロドロがあったらしい)、海外へ職場を変えていきました。
次に会った時に「月収が一千万になりました」と言ってたけど、ウソをつく人間じゃねえしな。素直に称賛しましたよ。
連絡が途絶えて久しいけれど、ネットなら外国でもできるよね。昔のヤフー知恵袋に「私はヤブ医者ですが、安田さんは~」と質問があったのを今更見たりしたけど、あれは先生かな。
先生、俺は今も元気でやってるよ。先生の実家の事務所近くのマンションに住んでるんだ。非掲載の旨を記してコメントつけてくれれば、載せないでこちらから連絡するぜ!
そう結ばせてもらいます。
心が温まる良い話だなー。
この「先生」については薄っすらと読んだ覚えがあります。
他にも安田さんの昔の人間関係では(コラムでも登場した)ビッグシューター右打ちのTさんとか、パチプロレベルの腕を持った漬物屋さん(?)とかも居ましたっけ?
ボクの知ってるパチプロって孤独な人が多かったですが、安田さんて人間関係が豊かですね。
安田さんの人柄が感じられる良いエピソードです。
互いリスペクトしあっているお二人のやり取りには、はたにいる自分等にも、人と人はこうあるべきなんだな、と思わせるあたたかいものがありました
あまり寝てない、というお話をされて、心配する皆を前に、
「医者は眠ることが罪だからね」
とやさしく笑っていた姿は、十代の自分には衝撃的で、今でも頭に残っています
僕も一緒に卓を囲み…、なんてことは望まないので、
「この前、医者の先生がさ~♪」
とコーヒーを片手に嬉しそうに話される安先生の姿を、いつかまた見れればいいなぁ、と小さく願っております(^ー^)
のんきさんへ。
紙の方のコラムでも先生のことは書いたりしましたね。
覚えていてくれて嬉しいです!
漬物屋さんは現在、お店を家族に任せてパチプロをやっています。
街でばったり会い、「子供も大きくなって、いろんな制約がなくなったしね」と話していました。
のんきさんが歩いてきた攻略の世界よりも、秘密にする事が少ない分、ヒラ打ちは人間関係が広がりやすいのかもしれません。
ポチへ
先生とは麻雀やったね。
場決めの前に「まずビール!」と注文するのが定番の人だった(笑)。