ぱちんこ閑話休題

いやーもう日本遊技での連載も10年続けてきまして、いつのまにかパチンコ業界から軸足を他業界に移しても、まだウダウダと続くこのコラム…まぁ、いま本職にしてないからこそ好きな事言えるってのもあるんで、ポジティブにやっていきましょー!ってワケで、今回は前にもどこかで書いたような気がするけど「正月営業のおもひで」でいきましょうそうしましょう。

無法地帯

現在47歳のオッサンですが…初めてパチンコ屋でバイトを始めたのは、大学に入ってすぐの18歳の頃。ほぼほぼ30年前ですから、当時過渡期とは言えまだ半袖からチラチラと「謎の絵柄」が見えるスタッフが居るのも珍しくなく、スキンヘッド(眉毛もスキン)やパンチパーマ上等、うっすら色の入ったミナミの帝王チックなグラサンをしているようなのも普通。コース端にはスタッフ用の灰皿完備。要は、客もスタッフも社会的不適合者の吹き溜まりという表現が一番しっくりくる状況。
大阪では統一で大遊協直下の景品買取り所があったんだが、中間問屋をスルーする自家買いなんてどこも当たり前にやってたし、とにかく「モラルなにそれ?美味しいの?」だし、客側も子供連れなんて可愛いもので、台のガラスを叩き割るのも日常、客同士の殴り合いなんて珍しくも何ともない。

来るもの拒まず

今は「従業者名簿」ってのがあって、店で働く人間の身分証明等を徹底管理して、それを所轄がこまめに確認する体制だが…昔はそんなもん知ったこっちゃねぇっ!なのは当然、常に人手不足なもんだからもう何でもアリ。
例えば昨日刑務所から出所したオッサンでも、どこかから駆け落ちしてきた謎のカップルでも、はたまた国籍不明の浅黒いお兄ちゃんでも、ゆる?い店長面接さえパスすればその日から店舗2階の寮に入れてもらえて、3食賄い飯が食べれる生活が送れるのだ。店によっては1勤務につきタバコ1箱支給ってのもよくあったし、身分証明確認もいい加減だったので「本名不明」で働くような強者も実際は多く居たのだ。
まぁこれはさすがに指名手配犯が紛れ込んだりで、社会問題になって今日に至るのだが、当時はまさに無法地帯だった。

御屠蘇

さてさて、そんな30年前のパチンコ屋でも正月は掻き入れ時で、大晦日は早く閉めて元日は昼オープンがスタンダード。元日営業が他の日と大きく違うのは、ガッチガチに締まってる釘だけではなく…カウンター前に置かれた大きな樽、これが大混乱の元凶なのだ。
樽に大きく書かれた文字は「新年祝い」そして「月桂冠」である。そう、バリバリの日本酒。今ではホールの中で酒を振る舞うなんて即営業停止で所轄に死ぬほど怒られるんだが、そこは30年前…おおらかな時代だったのだ。
元日営業は、昼からオープンして夕方には閉まる短時間営業なので、基本的にスタッフ全員出勤となる。開店の1時間半ほど前にホールに集められ、店長からお年玉を受け取ってテンションアップ!そして御屠蘇(おとそ)という名目で、全員が小さい盃で酒を飲む。
酒が飲めないナカムラ少年も断われずに飲まされたのだが、本当に困るのはここでスイッチが入ってしまう絶好調社会的不適合者集団。一気に盃からコップに持ち替えて、次第に一升瓶ラッパに移行する。ここまで30分かからず。

鏡割り

ダメ人間のダメ人間によるダメ人間のため…年イチの宴…開幕っ!

(>ω<)「ひゃっはー!」

ちなみにこの頃は開店時間と遊技開始時間が別で、遊技開始の15分くらい前には店を開けて、客は台を押さえたらコーヒーでも飲んで常連同士の挨拶とかが始まる。そして遊技開始の合図となる軍艦マーチが鳴り響いたら、一斉にハンドルを握るのだが、この日は特別ヴァージョン!30分前には客を入れて、マイクで

(>ω<)「あけまひておめでとぅーございやーす!」

から始まり、客をカウンター前に注目させてから…例の樽の上のフタをでっかいハンマーみたいな奴でパッカーーンと開封して、紙コップで客に配りまくる、いわゆる振舞い酒である。
なぜかこの時間帯になると、どこかから湧いてきたホームレス達も紛れ込んで、しこたま酒を飲んでいく。なんなら客の飲みかけのコーヒーにまで手を伸ばして殴られてる。風流だね。当然ドル箱に置いてた両替した500円玉は全滅だ。

つづく