地元スーパーの青果部へ入社半年くらい経ったある日の退社時。
同社レジャー事業部の部長とホール店長が満面の笑みで私に近づいて来ました。
「〇〇くん、パチンコ大好きだよね~?」と二人でニヤニヤ(嫌な予感)
明日からキミのタイムカードを隣のP店に置いて置くよ!
これからは若い君達の時代だよ!!と有無も言わさずパチンコ部門への辞令が下りました(苦笑)
「オイオイ!ブラックで劣悪な環境だから人が定着しないだけでしょ?」と心の叫び!!(笑)
このような流れでパチンコに異動になった為、役職者には可愛がられました。
その半面、今では考えられませんが”訳アリ”で一癖も二癖もあるような方々も居まして、“こんな若僧が”って感じでイジメられたりもしました。
そして、当時のホールはお客様から物・小銭をもらう、ホールで喫煙し、お菓子や焼き鳥を食べる事も日常的でした。
配属された地元の店舗は、私が高校生の頃は稼働2割くらい。不正も有ったり、売上金が紛失したり……”出ない最悪の店”とレッテルを貼られてました。
※小学生の僕が小遣い稼ぎ出来たくらいだから諸々ユルいんです。仕方ないか(笑)
しかし、私への辞令が発令される三ヵ月くらい前に店長以下、全てのスタッフを総入れ替え。
営業方針を大きく転換していきます。
ちょうど1300発機の末期から2000発オマケチャッカー機に移行の時期。機種で言えばフィーバーゴールド、ニューパニック、レーザースペーシーなどがあった頃です。
新任の若い店長(30代半ば)は、1300発機一回交換⇒5000発定量、何回でも連続開放!!
2000発機は釘を目一杯曲げて1回で3000発以上の出玉を獲得可能にし、更に3.5.7のラッキーナンバー制に変更。
同時に一般台も3000発打止⇒4000発、一発台は4000発打止⇒5000発へ変更して、今で言う”テコ入れ”を実施した途端に稼働が7割の盛況店になっていました。
当時、地域でセブン機を持ち玉で遊ばす店は少なかった為、お客側からしたら遊べる店に変わった訳です。
そんなこんなで稼働が急上昇し、超多忙になった為に私に辞令が下りたというわけです。
この店長は常々
「一発台は薄利で使えば必ず満席になり自然に売上も上がる」
「稼働が良く常に満席だからって増台なんてしたらダメだ!満席だから出ない回収台も座り割数が合う!!」
と言っていて、その言葉がとても印象的で若かった猫店長は憧れたものです。
そして、ここから10数年後に自分で真似をし、ミサイル776Dが常に満席の盛況店を作るとは、この時は知る由もありませんでした。
ちなみに、こんな凄腕店長でも羽根物の釘調整だけは苦手で、稼働はイマイチでした。
写真のデータは当時の1発台1BOXの平常営業のデータです。
赤文字が差玉でマイナス台。※2.5円の為100円25玉に対して40玉16割まで出せるがスゴイ出率です(笑)
機種は西陣・ジェットライン
つづく