悠遊道をご覧の皆様、明けましておめでとうございます。

新年一発目の原稿がなぜか私。元日。なぜっ!?

ただの順番。気にせず行こう。本年も宜しくお願い致します。

 

きっかけを10人に聞けば10の物語が語られると思います。

パチンコは子どもの頃から何かと思い出があるのですが、初めて自分の意思でもって打ったのは2015年の春の事でした。アラフィフと呼ぶにはあまりにもアラフィフな、プレイヤーとしてはかなり遅いスタートかと思います。

私は純粋でも何でもなく、この人は!と一度思った人物は男女関係なくただひたすらに100%信じます。どんな事があっても私だけは信じ続けられる自信がありましたし、実際、家族の縁が極端に薄い人生でしたが、周囲の大人たちは本当に優しく、時に厳しくも、心の家族であってくれました。大切な人たちに大切にされる。シンプルな事ですが、この温かな循環は私の心の支えなのです。

ところが2015年のうららかな春の日、陽気とは裏腹に、何十年も信頼してきた友人に裏切られていた事が発覚しました。

心はポッキリと折れ、目からはボタボタと涙が落ち、こんな年になって初めて「慟哭」の意味を知りました。一点の曇りもなかった私の心に、真っ黒い墨が落とされ波紋を広げていく、その言いようのない不安に押しつぶされ、どうする事も出来ずにいました。

やる気を失ってもこなせばならない家事や仕事があります。溜まった洗濯物を干した後、ベランダからボンヤリとしばらく外を眺めていました。幹線道路を渡ったすぐ先にパチンコ屋さんが見えます。そこでふと「ここに越してきてもう20年にもなるのに、あのお店はお手洗いも借りた事がないな……」と思ったのです。

私にとってパチンコ店というのは、出かけた先でお手洗いを借りる場所。そんな認識しかなかったわけです。

いずれ書こうと思いますが、子どもの頃に父親に連れられた記憶や学生時代、そして義父(前夫の父)とのパチンコ屋さんでの出来事をなんとなく思い出しました。

賑やかだったなぁ。今はもう軍艦マーチとか流してないんだろうな……。

知っているパチンコ機種は大昔の数種類しかありません。大工の源さん、綱取物語、海物語……。中でも学生時代に遊びで打った事があるマジックカーペットのう~ららウラウラ・うーららウラウラリ~♪とか、ビッグシューターのシュウ!ウーチャカウーチャカ……という音を懐かしく思い出しました。

あんな賑やかな場所に身を置いたら、何も考えずにすむかも知れない。その心だけで家の近所のパチンコ屋さんに向かったのです。

初めて打ったのは角の席にあった1パチの『CRリング~呪いの7日間~』でした。貞子3Dを打ち込んでいる事でおわかりでしょうが(笑)、ホラー映画ファンなのです。なので「わっ、リングあるやん」とすぐに座りました。

貸し玉ボタンを押し、どの辺りを狙えばよいのかもわからないままハンドルをひねり打ち出します。そして真ん中に最初の一個が入りました。

するとそのヒトタマがあれよあれよと発展し、大当たりをものにしました。オスイチから始まって、訳もわからずあわあわしながら打ち続けましたが、ナント終わる気がしないほどの大連チャンです。こんな完璧なビギナーズラックがあるでしょうか。

がらんどうだった心に、何かポッと温かいものが灯ったような気がしました。もちろん勝って嬉しいのもありましたが、とにかくパチンコそのものが純粋に楽しかったからです。手が落下するたんびに「わあ!」つって椅子から飛び上がり、ハラハラドキドキ、子どもみたいに騒ぐ私は誰が見ても初心者だったでしょう。

わからない事だらけで店員さんに色々と聞いてばかりいましたが、その都度、丁寧に教えてくれました。マニュアル通りの張り付いたような笑顔の店員さんも、逆に新人スタッフをわざといじめるような意地悪店員さんもいましたが、一人とても優しい店員さんがいて、パンサーの向井さんに顔立ちが似ていたので向井くんと呼びました。

こうして私はそのお店に毎日のように通うようになったのです。