ぱちんこ閑話休題
はい皆様ご機嫌麗しゅうっ!この原稿を書いているのは4月中旬、現時点で東北も春になっております。今までは5月のゴールデンウィークに桜が咲く感じだったし、冬の間ももっと雪が積もりまくって
( ゚Д゚)もうやだーー!
となっていた記憶。一昨年夏の暑さが異様に厳しかったので、それと相殺ってところなんですが…このままいくと、今年の夏もエライことになりそうです。
さてさて、今回は20年ほど前の、そんな暑い夏に起こった熱いお話をさせてもらいましょうそうしましょう。
急に盛り上がりだした店は客層がカオス
関西で初めて店長になって2回目の夏、店は世紀末状態から捲り上げてイケイケGoGoでFEVERしていた頃。上皿にマジックで名前が書いてあって、その名前の常連以外が座ると「名前書いてあるやろがっ!しばくぞっ!」みたいなバトルが当たり前だったような店から、1年もせずに地域1番を争うレベルまで一気に来たので、客層は多種多様。元々居た極限までガラの悪い連中はほぼ完全に手懐け終え、むしろこちらの意のままに販促協力してくれる存在にまで育てあげていた。そんな中、不動の1番だった店が焦って大改装を行い、なんと当時まだ珍しかった等価交換に移行。ちなみに当時のその地域は35玉?40玉で横並びだった。
これが近年稀に見る大爆死をやらかして、速攻で客数が1桁になり…その後半年もせず閉店。この大爆死がさらに自店への客の流入に拍車をかけ、ますます客層が多様化していた。
伝説のCR武藤敬司
年中無休の営業を行う当時のナカムラ店長は、週に一度休みがあるか無いか…ただし休みでも閉店間際には店に戻って釘と設定はやらなきゃいけないという、今ではスーパーブラックと言われる勤務形態だが、でもそれが昔のパチンコ屋ではごく普通だった。
どうせ夜には店に戻らないといけないなら、そうそう遠出も出来ない。いや…遠出できたとしても、超ウルトラ高確率で行き先はパチンコ屋なのは言うまでもないところだが。
そんなとある休みの日、隣の隣の市まで「どうしても打ちたい新台」を打つために車を走らせていた。その新台の名は「CR武藤敬司」で、メーカーがマルホンという事もあり導入店舗が壊滅状態だった中で、行ける範囲で1番近い店に開店前から並ぶつもりなのだ。
( ゚Д゚)やっぱ入場曲はトライアンフやでー!
大魔神佐々木
張り切って1時間前から並び、今みたいに整理券とか抽選とかは無いので、開店時間と同時に店内へなだれ込む!武藤敬司は4台しかないので、競争率は高い!…はずだったが、開店と同時に武藤敬司に着席したのはボク1人。
( ゚Д゚)なんでやっ!
結局昼前まで武藤敬司4台に一人ぼっちだったナカムラも、想像以上の演出バランス崩壊に辟易してノックアウト。そりゃあ誰も打たんわな。ガッデム。
そしてまだ帰る時間でもないし、店内をフラフラ?っと徘徊して乱れ打ち態勢に移行。これ、めっちゃ負ける時の立ち回りである。で、ふと何気なく座った「CR大魔神」。大魔神と言っても、昔の映画であった大魔神ではなく…野球の大魔神佐々木がモチーフになっている機種である。この頃のビスティは謎タイアップが非常に多く、飯島直子のカジノビスティとか華原朋美とみなしごハッチとか松浦亜弥やらウインクやら…挙句の果てにはマリリンモンローまで。どれもこれも味はあるが一般受けしない、哀愁漂う立ち位置だったのだ。今では立派になったものだ。
つづく