安田一彦が贈る パチンコ・パチスロ ブログ&コラムサイト
コラム
  • HOME »
  • »
  • ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」

ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第22話~平成15年

この年は、各メーカーがさまざまな趣向を凝らした新機種を相次いでリリースし、その内のいくつかは「名機」と呼ばれて後世に名を残しました。   有名どころは以下の通り。 アントニオ猪木という名のパチスロ機(平和)、レ …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第21話~平成14年 

この年は、いろんなジャンルのパチスロがデビューしました。主流はやはり爆裂AT機だけど、その他にもツインBB搭載機、プチストック機、711仕様ストック機など、多彩なバリエーションで我々プレイヤーを楽しませてくれました。 & …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第20話~平成13年 

この年は、いわゆる「AT機元年」です。1月の下旬にサミーから登場した「獣王」が大ヒット。それを見たほぼ全てのパチスロメーカーがサミーに追随し、まるで雨後の筍のように次々と「獣王タイプ」と呼ばれる爆裂AT機をリリースしまし …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第19話~平成12年

技術介入機の隆盛はまだまだ続く。前年にデビューした大ハナビ(アルゼ)の人気は非常に高く、それに追随する形で各メーカーから「A-700タイプ」が続々とデビューしたけれど、結局のところ大ハナビの地位を脅かす強い機種は登場せず …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第18話~平成11年

平成10年の12月中旬、オリンピアの「ビーナスライン」を巡る大騒動が起きました。 この機種はビッグ確率が195分の1~256分の1という、ごくありふれたスペックの7ライン機だったのですが、普通ではなかったのが通常時&ビッ …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第17話~平成10年 

ガイドスタッフになって3年目。この年は本当にいろんな出来事がありました。   パチスロ業界的に特筆すべきは以下の4点。   1、バックライトフラッシュが復活 4号機時代の初期にバックライトフラッシュを …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第16話~平成9年

ガイドスタッフになって2年目。この頃から、私もそこそこ機種物を担当させて貰えるようになり、その反動からか、以前に比べて現場仕事(データ取り)が減りました。肉体労働と頭脳労働のどちらが楽か…なんて話じゃありませんが、個人的 …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第15話~平成8年 

ガイドスタッフになりたての1年目。この頃はあまり仕事がなく、とても生活が苦しかったです。まぁ、考えてみれば当たり前のことなんですけどね。スタッフとして正式採用されたといっても、素人に毛が生えた程度の文章力しかないド新人が …

タグ :

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第14話~平成7年 

負けることが許されないスロプー生活はまだまだ続く。   生活を賭けずに打っていた頃は楽しくて仕方がなかったパチスロも、1回の致命的な敗北が困窮やら死の影やらを招くような状況では面白くも何ともない。それでも、生き …

◆ドラゴン広石の「こうして私はパチンコ&パチスロと長く付き合いながら良い年をしたおっさんになった」/第13話~平成6年

平成6年は、私にとって最悪の年でした。 最悪と言っても、別にパチスロで酷い目にあったわけじゃありません。私はこの頃、大分市にある某商社で土木資材の営業マンをやっていたんですけど、あるとき、橋梁工事の受注&施工でひとつの重 …

« 1 4 5 6 7 »
PAGETOP
Copyright © パチンコ・パチスロ 悠遊道 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.