プリペイドカード構想が出てきたのは昭和もそろそろ終わるという頃で、個人的にはパチンコもカードで打てる時代になるのか、しかも全国共通、便利になったもんだなー程度にしか思っていなかったのだが、その後取材などをする機会が何度かあり、陳腐極まりない構想だと呆れたものだ。あの頃、CR機なんていうものが出てこなければ、業界の現状もまた違ったものになっていたかもしれない。

~時は遡り、1987年11月、当時警察官僚だった平沢勝栄氏は、パチンコ業界を所管する警察庁保安課長に就任します。平沢勝栄氏は、福岡でスパイを追ったり、レバノンで日本赤軍を捜査したりと外事警察畑を歩み、イギリス大使館などに赴任した経験もあり、この人事は異例とまでは言わないまでもかなり珍しいものでした。そして彼の保安課赴任と時を同じくして1987年11月28日、大韓航空機爆破事件が起きます。この事件は北朝鮮の工作員二人のテロによるものでした。

これを機にパチンコ業界と北朝鮮の関係は社会的批判にさらされるようになりました。外事警察畑を歩んできた平沢勝栄氏がパチンコ業界と北朝鮮の関係に問題意識を持っていたことは疑いようがないわけですが、彼はパチンコ業界に対してこれまでの保安課長とは全く次元の異なる要求をします。それが「全国共通プリペイドカード構想」の推進です。

この構想の内容は「これまで現金かつ店内で行われていたパチンコホールの貸玉決済を、テレホンカードのような全国共通のプリペイドカードに切り替える」というもので表向きは「これによりパチンコ業界の不透明な資金の流れをクリアにして脱税を撲滅し、また、換金利権から暴力団を追放することを目指す」などとされていました。1988年7月8日に平沢勝栄氏は警察庁に全遊協(ホール系)、日工組(パチンコメーカー系)、日電協(パチスロメーカー系)、自工会(周辺機器系)のパチンコ業界4団体首脳を集めこの構想を示します。

なお平沢勝栄氏はこのプリペイドカード構想について「業界からの陳情を受けて進めた」という趣旨の発言を著書などで語っていますが、これを信じている人ははっきり言って業界に誰もおらず、北朝鮮への資金ルートを断絶するために政府が根回しして仕掛けたとする見方が支配的です。当時北朝鮮の問題は米ソ関係にまで及んでおり、1987年12月のゴルバチョフとレーガンの会談の主要課題は朝鮮半島情勢で、1988年9月のソウルオリンピックは厳戒態勢で開催されました~ 引用ここまで。宇佐美典也のブログより。

http://usami-noriya.blog.jp/archives/33865233.html

 カード構想を業界側が積極的に推進していたなんてことはなく、受け入れたのもCR機にのみ、合法的な確率変動機能が許されたからである。花満開や2回ループタイプのCR機を導入するにはカードシステムを受け入れざるを得なかったのだ。後は換金問題の解決策を検討するなど、そういった話もあったようだが、どこまで具体的に話が進んだのかは定かではない。ここらへんから業界がおかしな方向に進むことになる。

 変造カード問題で今はなき日本LECに取材に行ったことがあるのだが、応対してくれた方はパチンコ業界の特殊性、魑魅魍魎にあふれている実情に苦悩していたことを覚えている。

 いくら不正使用されても負担するのはカード会社、それを逆手になぜか夜中に残高が消費される店があったり (笑)、まあシステム構築に数千万も取り、半ば公権力を背景に営業するような会社にはそれなりの意趣返しをさせてもらうと、そういった状況は異常と言えば異常であった。

 そして2005年、三菱商事とNTTデータは保有株式の大半を売却、カード会社の経営から撤退することになる。全国共通、無期限、高額券にはプレミアがつく予定などなど、当初カード会社から喧伝されていた事項だが、全て水泡に帰したこととなった。

 現在、カードシステムは各店舗の裁量に任され、主に貯玉システムや顧客管理に使われている。これはこれでいいのだろうが、導入当初の最大の大義名分であった経理の透明化、脱税防止、利便性、イメージアップなど、果たしてどこまで寄与したのか、いずれはきちんと総括する必要があると思う。