この機種を打ったのは奈良県のホール。1994年か1995年のこと。
当時は必勝ガイドや漫画パチンカーと並行して「パチンコ王」(編集は石橋達也さんの事務所)という専門誌でも原稿を書いていた自分。
その雑誌で知らぬ土地での三日間の収支勝負の企画が行われたら、石橋さんにずいぶんお世話になった自分は逃げる手立てはなかったのです。
いやあ、毎回出発前は嫌でしたねえ(笑)。白黒つける勝負は苦手な性分なので。

その企画のたしか2回目が、その奈良県の店でした。この回は特例でホールが一軒に固定されてましたが、理由は多分ホール側が協賛店として経費を負担してくれた関係でしょう。

さて、勝負は到着しての下見の日が新装開店で、全体に凄く出していました。自分も出玉が最高な一般電役を打ち、「本番もコレでいいか」と一安心したものです。

ただ、翌日は一転。軒並みシメで路頭に迷うことに。策を練り直した結果、方針を変えて、交換ナンバーありのラッキーナンバー制の3回権利モノで勝負することになりました。
それがこのビッグバロン(後にリメイク機が出ていますが、初代です)。

あぶれた初日に試し打ちで見つけた台は、翌日も釘はすえおき。後は自力でラッキーナンバーを引くのがなかなか難しいので、一日に三度あるサービスタイム(1時間)で当たってくれるか? 290分の1という確率は3回権利モノにしては甘かったのですが、それでも引けるかは一度のサービスタイムにつき7割程度のギャンブル! いやあ、緊張したなあ。

結果は残りの二日ともに朝の1時間で当り、交換ナンバーも昼のサービスタイム中にクリア(交換せずとも良い時間帯なので)できて、換金差額を丸々浮かす勝負ができたのでした。
(交換率は40玉か42玉のどっちか。出玉が良いので千円18~19回転で現金投資のボーダーくらいにはなった)
プラスにはなったものの、最終的な順位は三位だったと思います。

ビッグバロンという機種自体はその後に打つことはなく、画面の印象もほとんどないのですけど、日頃の収支より多少重い物がかかったヒリヒリする勝負の中、「ピリッ」という相当高確率な音の予告だけが記憶から離れません。
今ではロケの対戦勝負中に、「まあいいや、他に選択肢もなさそうだし」とボーダー割れの台を打ってしまったりしてますけどね(汗)。あの頃の誌面勝負はチョーマジでした。