この機種が登場したのは2006年。CR機も派手な連チャンだけでなく、様々な遊べるスペックの模索がされ始めた頃だったのではなかろうか。
この機種は初当たり確率が約1/225。STは7回転で連チャンのパワーはかなり小さめ。
「当りやすく、連チャンしなくても次の当りまで玉が繋がる期待が持てる」という、当時はホールから姿を消しつつあった現金デジパチに近いゲーム性だった。
自分はやっぱりこういうパチンコの方が好きだ。運任せでなく、「回る台で次の当りまでに玉が残り、連チャンすればボーナス的にポンと増える」方が、台選びの技術も活きるしね。
また、当時は2.5円交換店が減り、低換金の代名詞も3円に変わりつつある時代。
そろそろ自分も「ただ釘を見るだけでは回りが足りなくなるぞ」というのを自覚していて、この機種ではアタマ(天釘)を狙う模索をしたものです。
あっ、この機種をやっていた店は(自分に対してだけ)もの凄く電サポ中の止め打ちにうるさくて、「電チューが無いなら文句はないだろ!」と言えたのも、積極的に打った理由でしたね。
白状してしまうと、天釘狙いはジグマ時代のライバル(?)だった漬物屋さんのパチプロKさんが初代Fパワフルでやっていた打ち方のパクリ。
たまたま上手くいったので、必勝ガイドの日記でも「経験という名の昔の財産に頼って今を凌ぐ」と見出しをつけたっけ。
パチンコ攻略マガジンの和泉プロが同じ打ち方をしていたのを、稼働を重ねてから誌面で知ったけど、自分は「アタマを狙って回るからOK」止まりだったところに、確たる理由付け(たしか右のワープから玉をステージに送った方がヘソに決まるだったはず)まで書かれていて、「う~ん、一本取られたな」と悔しかったりもしました。
発売日前に彼は原稿を書いているので、自分は遅れを取った形だし。
誰だって現場で自分が諦めた機種(台)を、スキルや発想で出されることがある。
それを妬みから否定する打ち手もいるけれど、素直に認めて次への糧にするのは、上達のカギと言えるんじゃないかな。
1番回るポイント探すの楽しいですよね(*≧∀≦*)
パチンコは04機で辞めてしまいましたが、天釘狙ったり右打ちしたり…色々やりました(*´꒳`*)
さとみんさんへ
一昔前は合わせの模索に効果がある機種がいくつもありましたね。
私も少ないながらも何機種かはお世話になりました。
効果は小さくなりましたが、今もその探求心でやっております。
はじめまして。ケンタと申します。
浪人時代の19歳でパチンコをはじめて、約30年経ちました。当時は、羽根モノと一発台中心に立ち回っておりました。田山さんに会いたくて、池袋の「山楽」に遠征し、田山さんがビックシューターやローリングマシーンを打っている姿を目の当たりにして、深く感動したのを昨日のことのように鮮明に覚えています。その後、地方の大学に進学し、就職を機に東京に戻り、またまた溝の口の「BーTOP」でフライングカーペットを打っている田山さんにお会いし、「牛乳屋さんのコーヒー」を差し入れたのもご迷惑だったかな、と今となっては感じております。しばらくしてから、用賀の「クローバー」をネグラにして、一発台ミサイルで荒稼ぎしていた頃、再び田山さんにお会いしました。私は、勇気を出して、田山さんに「そのミサイル、谷が右に叩かれてるから、命釘によく絡んできますよね!!」とお話ししたところ、「そんなの分かってる!!」と一喝されました。
2浪したら、パチプロを目指そうと決めていましたが、ギリギリで大学に合格し、今ではなぜか公安の仕事に就いております。
田山さんの東大中退、安田さんの公務員退職、当時の私からしたら、お二人とも信じられないような人生を歩んでおられて、貪るように必勝ガイドを読み漁っておりました。
でも、47歳になり、正直、つくづくパチプロにならなくて良かったと感じております。
パチンコ業界は、今後、長期間に渡る氷河期に突入すると思われます。換金というグレーな部分にも、いよいよメスを入れるべく、ご存知かもしれませんが、水面下で具体的な文言が出始めております。
どうか安田さんには、昭和の良き時代を知る正真正銘のパチプロとして、令和の時代も生き残って欲しいと切に願っております。
ケンタさんへ
これはまた珍しい職業ですね。
色んな過去の思いをを「うん、うん」と読ませていただきました。
応援ありがとうございます。
いつ潮時が来るかわからぬ世界ですが(もう来ている?)、潰れるまでやってみたいとは思っております。
できれば、終わりの日がやって来ても「楽しかったよ」と言えるように…。