パチンコは規制の歴史! 過去に何度も「射幸心を煽るな」とのお上の名で、ゲーム性に変更を余儀なくされ、スペックが変わっていったものです
デジパチだと今のファンはご存じないでしょうが、登場したばかりの頃は、一度絵柄が揃うと(パンクしない限り)ホールが決めた玉数まで出っ放しなんて時代がありました
それが、1ラウンド辺りのアタッカー開口時間が30秒までになり、それもアウトとなったら15秒にされたりしたのです
それで、画像の「フィーバー10スペシャル」
これは昭和60年の規制で、1ラウンド辺りの入賞個数は遂に10個までにされる、俗にいう「10カウント規制」後に登場した機種です
確率は200分の1だったかな
出玉がすごく少なくされた分だけ、ホールは入賞率を高くしたのでしょう
素人の自分にも「えらく回るようになったなあ」と声を上げさせてくれました
それで、当時の友達で初打ちにも誘ってくれたカスガ君という同級生がいましてね
彼はデジタルの回転数を数えていたんですよ
「もう700回も回しているのに当たらない」とかボヤいていたもの
早すぎた石橋達也プロですよ、もう!
ただ、彼は「確率なんてアテにならない」という残念な結論に至り、勝ち組への転向も、パチンコ界の偉人への道もフイにしてしまったわけですが…、それもまたむべなるかな
当時のフィーバー機(特にSANKYO)は10カウント規制前のタコフィーバーから、「数回転~数十回転はドラムの並びが変わらないままにドラムが回転する(表に表示される絵柄は変わる)」という特徴があったのです
後継機では自分も「外れ絵柄のチェリーの三つ並び後は明らかに当りに繋がりやすいぞ」なんて具合に、データを採らずして法則を知りましたから
これは後の西陣の初代春夏秋冬や平和のブラボーキングダム的な仕様で、連チャン性を高める仕組みでもあったと思います
ダイイチのスーパーセブンシリーズの「大当たり後に保留玉で同じ並びが戻ってくる」なんてのも、意図は一緒だったのかも
どれもこれもハマりまで深くなるのは避けられず、打ち手には得か損か難しいところでしたが…