ポチの脳味噌75%はゲームと漫画で出来ている
ネカフェに行けば、12時間ぶっ続けで漫画を読み続け、ゲーム機を起ち上げれば三ヶ月もの間、電源を落とすことなく、風呂、トイレ、食事以外のすべての時間をゲームに費やすことのできるダメっぷりである
いくらなんでも、これではマズイと、去年くらいからゲーム禁止令を発し、やれお勉強してみたり、筋トレしてみたり、健康的な食生活を心掛けてみたり、元祖ニートらしからぬ生活を営んでいる
ちなみに、今はブログを書きためる日にあてようと、平日の日中、ぽてぽてと作業所に向って歩いている
空を見上げると曇天である
昨日も昼間は曇天である
先日にかぎり、ひどい大雨が襲いはしたが、合間々々に、さらさらとやわらかい雨が散ったり、雲のわずかな隙間から気弱そうな陽射しが、申し訳程度に差し込んだりするだけで、他すべて曇天である
日々、ゲームや漫画の世界に潜っていたために気付かなかっただけで、もしや雨季とはそういうものだったのか、と40のおっさん、不思議そうに、頼りなげな曇り空を眺めている
そもそも腐った生活に規制を入れ始めたのは、健康寿命を延ばすことだかでなく、僅かに残された連れ添い探しの名目もある
世の風潮を目を細めて眺めてみれば、このような時期に鎌倉の紫陽花寺などに行き、日本の雨季を堪能するような男が好まれるようだ
他に褐色の肌を手に入れて、なんてのも、時代を問わず人気があるようだが、いくらなんでも遠回り過ぎるので即却下
ならばと、鎌倉までの道のりや、週間天気などをみて頃合を図っていたのだが、そもそも本音を言えば、紫陽花という花のことをポチはそれほど好んでいない
咲く季節や環境も関係しているのだが、空は雨雲の灰白色でおおわれ、雨季の深い緑の表面に、生えるように咲く花びら、肌の上に浮び上る血管の様な鮮やかな赤や青
どうしても、その姿を、落ち葉や昆虫の死骸でグズグズになった地面に横たわる大木に寄生し、そのゆっくりと死に向う皮膚の上で、毒々しい色を滲まながら生気を吸い取ってゆく毒キノコと重ねてしまうのだ
色がいけないのだろうか
紫陽花の淡い赤紫に、青紫
紫という暗澹とした色は、どこか日本女性によく似合う気がする
四谷怪談の様な恨みつらみの話でも、恋に狂った阿部定事件のような激情的な話であっても、日本女性の話はどこか陰のある話が多い気がする
それらを色で顕すならば、完全な主観ではあるけれど、やはり薄暗い赤紫や、青紫である
この季節に女性が纏う浴衣、紫陽花や朝顔の紫の色が、胸元の合わせや、衿元に飾られ、その奥に見え隠れする、しっとりと汗ばんだうなじが、その色の面影を、より艶めかしいものとしている
花の色だけでなく、頭上にひろがる重い雨雲で覆われた、すべてを燃やし尽くしてしまった後に残るような、空の灰白色もきっといけない
そして、色だけではなく、身体中にまとわりつくような、じめじめとした空気
雨季というものは、国や地域によっては生命の息吹を感じさせるのかもしれないが、ポチには腐敗を連想させるのである
いま言ったような印影が複雑に絡みあい
人気のない森の奥にひっそりと佇む小さな湖、ゆらゆらと湖面に浮かんでいる妙齢の女性の死体、少しでも触れようものならベロリと剥き出しになりそうなその躰の、眼窩や口腔、ありとあらゆる穴という穴から、突き破るようにして咲いていそうなイメージが拭えないのである
寂静としていて、淫靡で、そして陰惨である
そのような花を好きだと公言することは、自身を変態であると告白するのと同じで、大変抵抗のあることなのだが、世の女性がそれがいいというのだからしようがない
しようがないと諦めていたのだが、実は、先週、ご乱心してはじめたショギングで、日常生活もままならぬほどヒザを痛めてしまい、雨季の鎌倉に出没するサブカルおじさんデビューは来年に持ち越しとなってしまった
まあ、縁がないのだろう、どちらにも