動画コンテンツ強化中の悠遊道。私も駆り出されて、先月の頭に福生にあるパチンコ・パチスロ専門ゲームセンター、タンポポで映像を収録してきました。
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ぽち。君と古い機種や当時の状況について語る動画はすでに順次公開中ですが、まとめて撮影した日のラストに撮ったのは手打ち台。
私は「キノッピー」、ぽち。君は「スーパーランド」という機種で、15分間の出玉対決でした。
(正式な機種名はタンポポさんでもわからないらしく、仮の名称です)
19歳の誕生日を迎える前にパチンコを始めた自分も、さすがに手打ち台は経験なし。
子供の頃に親父に連れられて行った時(時効だからカミングアウトしてもいいよね)、ハンドルをビヨーン、ビヨーンと思いきり叩いたくらいです。もちろん機種も記憶にない。
でも、必死にブッコミを狙っているうちに、当時の雰囲気みたいなものが蘇ってきましたよ。
どこかこう、牧歌的な空気。でも、ガキの自分にはいけない所に来ている感覚も…。
今はずいぶんとお洒落? になり、生業としている身では、ホールは庭のようなもの。
まさかこんな人生を送ることになるとはなあ。
あっ、そういえば、10数年前に尊敬するプロの大先輩であるチャンさんの相棒だった佐々木師匠さんから、「手を見せてみろ」と言われ、「そんなヤワじゃ、手打ちの時代は無理」とダメ出しをいただいたこともあったっけ。
佐々木師匠は小柄で細みだったチャンさんを評して、「あいつは手だけはガッチリしてるんだぞ」とも言ってたなあ。
動画でのぽち。君との手打ち勝負の結果は…。うん、公開をお楽しみということにしましょうかね。ふふふ。
おはようございます。☺️
私も初めて打った台は手打ちでした。
幼稚園に行ってた頃だったと思います。笑
勿論一人ではなく、酔っ払った父親に連れられてですが……笑
あの頃の台は確かハンドルの上に穴が開いてて一発づつ打つやつだったと記憶しております。✋👴
懐かしい思い出です。笑
あの頃は自分がまだちっちゃかったせいか、店員の目の前で玉を父親から貰っても怒られなかったなぁ。
実におおらかでいい時代でした。☺️
勿論二人共に一度も勝つ事もなく、程好く負けて帰るのがオチでしたが…笑
今思うとこれで二人共に打ち止めにして帰ってたらあっという間に出入り禁止だったでしょうね。笑
立川さんで打っていたアレンジボールも手打ち台って呼べるんですかね?
ギャンブルやらない親父もパチンコの話をすると手つきが親指でビンビンやってるような感じでした(笑)
他プレイヤーの手先観察、スロットの場合専業メンバーの方が遊戯モーション小さめです。1日にストップボタンを3万回弱押すとなると省エネしないと毎日持ちません💦仲間内でワイワイやる時には、バチコ~~ン!とやる時もありますが…
あと、この季節は結構爪のケア大事です、私も指の腹ではなく指先端でボタン押す派なので乾燥時期は爪が良く割れるんですよ😭季節柄あるある~♪でした。
月光 ( 元:猪 鹿 蝶)さんへ
私と同じ時代を過ごしたのですね。
懐かしさもひとしおかと。
ホールもずいぶんと変わりました(-_-;)
ボクは安田さんより三つ年上ということもあるからか、高3の頃手打ち台打ってました。既に満18歳でしたからいいでしょう。昭和53年だったと思います。ハンドル台がそろそろ出始めた頃だったでしょうか。その頃親戚の叔父さんでパチンコ得意な人がいて、近所のホールでよく打ち止めにする台を勧められ、学校休みの日曜によく打ち止めまでしたものでした。叔父さんは平日休みだったので、かぶらなかった。機種名わからないな。チューリップがいくつかあったのだけ覚えてます。疲れ防止に左脚上にして組み、その膝に右肘を乗せて打ってました。でも、その後は15年程パチンコからは遠ざかりました。単に興味なくなっただけですが。
匿名希望さんへ
貴重なお話をありがとうございます。
そっか、私は遠い昔の感覚でしたけど、案外数年しか離れてなかったのか!
あの頃のパチンコは確かに次々と新しい物が入ってくるか過渡期でしたね。