今回は、17年間の店員時代で(強引に思い出して)ちょっと良かったことを書いてみます。前回、大変だったことばかりでちょっと救いようがない感じでしたしね。
初出勤時の研修先の主任が、短気でこの世のものとは思えない怒号を発するゴリラーマンでした。その後私は玩具売場担当となって1年後には主任になりました。
その頃のこと。そのゴリラーマンが私にこう言いに来ました。
「パチンコ勝ってるんやって? どうしたら勝てるん?」
後日、私がパチンコ店で羽根物を打ってると、向こうにゴリラーマンの姿が。私は話しかけるなオーラ発しながら打ってるせいか、話しかけたそうな雰囲気でしたが知らぬ間に居なくなってました。まあ、強面のゴリラーマンも遠慮ということを知っていたようです。
店休日の火曜日、テニスの誘いなどあるも遠方店で主任会議があったりして断念したわけですが、その主任会議でのこと。
午前中に主な議題は終わらせて、午後からは私のパチンコ講座を開いてほしい、よく言われたものでした(苦笑)。あの、こちらがいくら遅くまで残業をしようととっとと帰ってしまった上司も、パチンコで勝ってることを羨ましがってましたね。
そしてこの会社で沢山のパチ友ができましたが、1番はケンケンさんとパチ友というか親友になったことでしたね。なんせ、今でもお付き合いしてる唯一の御方です。
私は接客は全く向いていませんが、管理の方は自信がありました。休日に大阪の問屋さんまで出向いて、倉庫に入らせてもらい、ジグソーパズルとプラモデルについて、売れそうなものをピックアップして仕入れをしたことが何度かありました。こんな熱心な人は初めて見た(逆に百貨店の人のルーズさといったら)と言われたり、問屋の担当者とも親しくなって家まで招待されたり、繁忙期には優先して応援に来ていただいたり、バックヤードの整理をしてもらったり、ということもありました。
画一的な品揃えより、おもちゃは個性的な方がいい。私が仕入れた商品は絶対に売れる自信がありました。また、常に新製品であるTVゲームソフトこそその売れ数予想に自信がありました。お昼休みの時間を利用して、食事を15分で済ませた後、自腹購入のファミ通や台帳など多くの資料を基に、過去に同類のソフトがあったかどうか、その売れ数、発売日のバッティングソフトの有無、など毎週木曜日に沢山のソフトが発売されるそのリスト表を元に、売れ数を推測しそれぞれ発注数を決定しました。
初めて聞く名前のソフト(スーファミ、ゲームボーイ、プレステ、セガなどの)を発売日の一か月前には注文をしなければいけません。急きょ発売決定で即注文、ということも普通でした。その週の土日に売れ残ったらもう商品価値は半減以下(翌週にはまた新製品が出るし他社などTVゲームソフトの過剰在庫が億単位とか聞きました)。かといって抑えたらチャンスロス、です。主任会議では、本部仕入担当を含め各店の主任は私の発注数を見て決めていました。
売場作りにも燃えていました。おもちゃ売り場は視覚と聴覚に訴えることが大事。毎日のように脚立を使って天井にヒートンを付け(その都度なんか白い粉が舞い落ちましたが)、スポーツ用品コーナーの上で水糸を通してミッキーとミニーを吊って、手にバットとグローブを持たせた演出など、とにかく空間を賑やかにしました。
クマさん応援団長やプラレールなど、電動玩具は常に電池を入れて動かしました。今、おもちゃ売り場から離れいたとしても、そっちの方から楽しそうな音が聞こえてくるって無くなりましたね。
基本、入りそうにない商品のお客様からの注文は断りますが、私が不在の時にパートさんがリカちゃん人形の専用ドレスの注文を受けたことがありました。
次の休みの日に3時間かけて京都の百貨店まで出向いて自腹でリカちゃん人形のドレスを購入したりしました。これは、売場作りのための勉強を兼ねました。思わず店員さんに売場作りについて質問しようとしましたが、思い留まりました(笑)。
毎年6月に行われた東京晴海のおもちゃショーはさすがに出勤扱いでの出張。夜行で行きました。それはもう広い敷地にたくさんのブースにおもちゃが。フラワーロックなんていくつあるのか?という感じ。さらに目線は、田舎ではお目にかかれない綺麗なコンパニオンに向けられたのは言うまでもありません。夜は夜で、本部のベテラン社員の方に、自身初めてなトコに連れて行ってもらったり。
当時、社内で1番のやり手と言われた本部長(後に社長に)が、自ら降格人事を進言して不振店であった私の店舗へ店長として単身赴任で来られたことがありました。とにかく教育に力を入れられました。
営業時間終了後に自ら講師を務めてきいろんな教育をされました。会社を挙げてQC手法(クオリティ・コントロールの略で、製造業中心に発展した、問題点を見つけて手法を用いて改善すること)を用いた活動も強制的にしなければなりませんでした。これも時間外にサークルで集まってテーマに沿って話し合い、クリアシートに書き込んで支部大会で発表をしたりしました。
これにも私は熱心に取り組みました。(本当は、パチンコで勝つためには、のテーマに自信があったのですが)結果、支部大会で優勝をして全社大会に参加。そして全160くらいだったかのサークルの中で優勝をするに至りました。その後、来賓としてJR西支社のQC大会(最前列に広島駅駅長、岡山駅駅長、神戸駅駅長ら)に模範発表を行い盛大な拍手を受けた、なんてこともありました。
いつも5階では私一人でもくもくと残業をしていたわけですが、元本部長の店長が「男も女も22時で終礼を行ってそのまま終わりにする」と決められました。思いました。なんて早く帰れるのだろう、と。
そして残業中の私の所に来られ、こう言われました。「名前は知っていました。しかし、この店にこんな凄い方がおられることを知りませんでした。」
いや~褒め上手です。褒められて伸びるタイプです。舞い上がったのは言うまでもありません。
また、会社の同好会として、初めてゴルフをする機会があり、クラブセットを購入し打ちっ放しで練習。そして何度か大会に参加したこともありました。ゴルフ仲間もでき、ここでゴルフの楽しさを知ることができました。
そして、長年店員業をしてきたことで、パチ屋でもスーパーでも常に店員さんの気持ちを考えて行動するようになりました。レジが混んでれば空くまで待つとか。まあ、嫁からはそこまで気にしなくても、と言われますが。
”店員さんの気持ちを考えて行動するようになりました”
わかります!接客業したからこそこの気持ちは強くなりました。
QCサークル懐かしいですねー 販売業でもさかんだったんでしょうかね
自分は定職時代は工場勤務です
QCサークルはリーダーとしてやっておりました
手法について今でもついったーなどで政治や地政学を考えるのにあたり
手法ありましたねなぜなぜを繰り返す
これがものすごく今役に立っているんですわwww
パチンコにも応用可能だと思いますよ
後仕事の上のやり方として部下に対して人として扱えますか怒号するだけでなく
よい仕事したらほめることできますか
ここからやらないと人は一切ついていきません
で今までの人が変わったなーと思われてはじめてついてきてくれるものです
働き方は2の次ですね、自分も主任の1個下の上の立場で働いたことがあるのでそう感じ取れますw
山ネズミさん、コメントありがとうございます。
山ネズミさんも接客業の経験がおあり(または進行形?)なのですね。
店員を長くしていると、相手の気持ちを考えて、ができるように。これが1番良かったことかもしれません。
ツルッツルだよさん、コメントありがとうございます。
QCサークル、販売業でも私のところは盛んでした。
会合は時間外、発表のためのシート作成は家へ持って帰って書いたり、大変でした。
なぜなぜ、を繰り返す。要因をできるだけ沢山出す・・これに慣れると、確かにいろんなことに役立ちますね。
仰る通り、パチンコにも役立つ面ありました。
活動をすることでサークル間で親しくなって結ばれた、なんてこともありました。
素晴らしい経験をされてるように見えますね(前回とのギャップが激しいw
裏方が得意なんですね!?管理が得意ってところに共感を覚えます。
仕事場を一つの作品として仕上げるってのは、どこでも使える素晴らしい技術と熱意だなと思います。
個人的には、客も店員も目線は対等~やや下から、というのがお互いに気を使ってる感じで好きです。
白いシローさん、コメントありがとうございます。
仕事場を一つの作品・・・そこまで考えたことはなかったですが、その表現気に入りました。
管理については、パチンコの管理も同様な気がします。
「わしは客やど」何度か聞いた言葉ですが、実に嫌な言葉です。