新聞のテレビ欄、スーパーリッチというドラマ名を、スーパーリーチ?と見間違えました。殆ど病気かも・・

テレビと言えば、偶然さっき見てた(11月7日放映)スカパー内のパチンコ懐古台の番組で、ガイド誌ライターOさんが麻王は面白かった、と言われていました。

麻王は、西陣としては初の液晶デジパチとして、麻雀をモチーフとして1993年に登場しました。初ということを抜きにしても画像の目が粗く、麻雀牌を持つ女の子も魅力感じずな液晶ではありました。

大当たり確率1/238の保留連チャン機。大当たりするまで保留を1個までに留め、大当たりしてアタッカーが開放している時だけ打つことで保留連チャン率がアップしました。

1993年と言えば、綱取物語、フィーバークィーン2、ダービー物語など個性的な連チャン機の全盛時代であり、その中にあって麻王は地味な存在。私も当時、打つことはあまりありませんでした。

きっかけは、大好きだった3回権利物、アクダマンSPがまだ残ってる大阪難波グラン○店へ遠征した時のことでした。大阪難波と言えば、過激連チャン機最後の聖地と言われたキング○店も興味がありました。2001年3月7日、アクダマンSPで初当たり4回を獲得して、繁華街を移動し道頓堀のキング○店を見つけることができました。

パチンコの黒歴史、1993年のダービー物語事件により、栄華を誇った数多あった連チャン機が社会的不適合機として1996年から1997年にかけて殆どのお店で自主撤去をされてしまいました。そんな中、2001年にまだアレジンやエキサイトが残っているのは奇跡的なこと、ではありました。

裏路地から階段を下りたそこは、懐かしいアレジンやエキサイトが鉄火場状態でした。他に、ソルジャー、エキサイトジャックといった過激な連チャン機が並び、その中に麻王もありました。穏やかな空気感の島、麻王の寄り釘の良さそうな台を打ってみると、これがまあ7個戻しの恩恵もあってよく回ること。

保留溜めずに打つため、投資ペースも遅く直ぐに気に入りました。どれくらい遅いのか。大当たり1回、約2300個の玉を使い切るのに1時間以上は持ちました。大当たり中も、ヘソにスポスポ入るので消化に時間がかかるという。回転率にして45回(千円)レベルでした。

その日はアクダマンSPの勝利に加え、麻王で10回大当たり+39(千円)の上乗せをすることができました。

地元に戻っても、あのブン回り、というか玉がなかなか減らないという素敵な感覚をどうしても思い出す。まあ、またあの回りの台が打てる保障などありませんが、次の休日にはまた車を大阪へ向かわせていました。

それからも、大阪のパチ友と連れパチで、アレジン大好きな会社の同僚を引き連れて、たいがー山本さん主催の大阪オフ会に参加した時、平和さん主催のパチンコ大会に参加した機会など、お店が閉店をするまでの約3年間、片道3時間かけて遠征を繰り返したのでした。繁華街は駐車料金が高く、当時は阪急沿線の尼崎の安価で最寄駅から少し離れた駐車場に停めることが多く、実際はもっと時間がかかっていました。

遊技中は液晶の画が粗いとかは関係ありません。図柄が左、中、右の順で停止する過程で、左と中の変動の様子を見てるとリーチになりそうかが分かりました。リーチにスーパーは無く、全てノーマルリーチ。停止する1コマ手前でスローになるので、大当たり図柄の1コマ手前でスローになれ!とアツくなれました。

通常時、左、中図柄の動きを見続けることでずっと飽きずに打てる。リーチ時の期待感は常に一律。リーチ中はコマ送りとなる左図柄が大当たり図柄に近づくにつれ高揚。そして大当たり後の保留消化4回転も、左、中図柄の動きからリーチ来い!とアツくなれる。華美な演出やスーパーリーチなど無くても夢中で打つことができ、時間が経つのも早く感じました。

リメイク機、麻王DXにこの左、中の動きが踏襲をされてなかったのは残念でした。そして、大阪はいいな~、今も、当時もそう思ったものでした。