ヒコロヒーさんの一人称が「ワシ」であると知り、私もネット創成期から「ワシ」と書いてきているなという流れから、著作権のようなものについてうっすら考えました。

あしの氏が昔に書いたブログがパクられた事がありました。微妙に変えるならともかく、プロット丸ごとであった事に呆れて笑っておられましたが、私はそれを聞いて怒りでいっぱいになりました。面白い文章をマネしたい気持ちはわかりますが許しがたい。サクッと書いているように見えて、時に生み出す苦しみがあるからです。

語弊があるかも知れませんが、子どもの頃からよく「まねっこされる」人間です。アイデア、言い回し、果ては文字まで。

インフルエンサーでも何でもないんで、私を知る周囲がという小さな範囲ですが。

中学生時代は「丸文字」が全盛期。その中で私だけが小さく角張った字を書いていました。陽子というクラスメイトが「まきをの字、真似していい?」と聞いてきてビックリ。ええよ、と笑いながら許可したのですが、聞かれたのは初めてで、でもすごく嬉しかったのを覚えています。クラスメイトや同僚、昔から「ようこ」という名を持つ女性は飾らない美人が多い気がして、もし結婚して女の子が生まれたら「ようこ」という名前を付けようと思ったものでした。結局未だにお独りぼっち様ですけど。

おそらく真似されるのは私が超ヘンコ(偏屈)で、宿題の話しかり、人と同じはイヤという考えだからかも知れません。今となってはただただ恥ずかしいだけですが、当時は「変な奴」と言われる事がちょっと嬉しかったです。

公開当時「タイタニックはハーレクインロマンス」とある媒体で書いたのですが、実はそれは映画友だちの表現でした。恥を知れと自分自身を責め、そこからは誰にも影響されないと決めて今日まで来ています。世間で認知されているものは別として、どこで見たか、誰のものかを書くように意識しています。

誰かが必ず見ている

YouTubeチャンネルを開設したとちょっと前に書きましたが、同ジャンルの方に丸パクリされてました。日をもっと置いて、ちょこっとだけ盗めばわからなかったろうに。もちろん頭に来ましたが、先方の方が登録者数が多いのに、再生数とコメントはこちらの方が圧倒的という嬉しい事実だけが、私を慰めてくれました。

そう、数字。

所謂、数の勝利。裏を返せば有名人が書けばそっちが本物になるって、影響力の問題です。有名になりたいというのは自己顕示欲だけではありません。「オリジナル」としていたいからです。

SNSでとある演者と呼ばれる若い女性のつぶやきに驚いた事もありました。ああ、私の文章を読んだんだと。んだんだ。せめて「悠遊道ってとこで読んだんだけど」と置いて欲しかったです。んだんだ。

「とってつけ」発言に、急にどうしたのと聞かず「○○ちゃんすごい」ともてはやす騎士たち。別に彼らが気付かなくてもいいさ。だって一人だけは確実に知ってるもの。

そう、「自分」が知っている。せめて羞恥心を秘めてますように。さっきから「ワシが先」アピールしている己に対しても恥ずかしく思いつつ。

公共の乗り物なんかに歌舞伎の隈取りみたいなステッカーが貼ってますよね。「見てるぞ」てやつです。

恥ずかしくない生き方をする──。その時は知られないし、悔しいのも自分一人ですが、でも必ず誰かが見ていると信じます。そしていつか、その「誰か」が私を守ってくれるでしょう。

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